zweite Advent

眠りたくない夜、というのがある。

わたしは昔から、未来に憧れがあって、希望があって。

だから生きていられる、とさえ思っていて。

 

そんな望んだ“未来”とようやく対峙した時、嬉しさと、幸せと、大いなる反省と、さらなる未来への願望とで、胸がいっぱいになる。

胸がいっぱいになって、満たされて、その心境の中にできるだけ永く留まっていたくて、眠ってしまうのが惜しくなる。

 

置かれている状況や、年齢が変わっても、それは変わらない。

何なら、物心がついてからずっとそうだ。

今が一番楽しい、と心の底から思っていた割には、同じくらい「早く先に進みたい」と思っていた。歳をとる、ということは、その分だけ自分が成長する、ということだと信じて疑わなかった。

今が苦しくて仕方がなかった高校生の時も、時間に解決して欲しかった。時間が経てば、少しでも、よくなる未来を信じて疑わなかった。

 

いつだってそうだった。

いや、わたしだけの話ではなくて、人間皆そうやって生きているのかもしれない。

 

 

眠りたくない夜、わたしは考える。

このまましんでしまえたらいいのに、と。

早くピアノが弾きたい、早く先に進みたい、早く夜が明けてくれないかな、と。

相反する心境の中で、いろいろなことが、怖くもなる。

 

 

ただ。

今夜に関しては、眠りたくないが、そんなに怖くはないのだ。

なんて無責任なのだろう、とは思うけれど。

 

繋がれた手のあたたかさに、いつまでも夢を見ていられそうな気がした。

しかし、桜の木々も眠る冷たい夜の公園で、夜風の中で、ちゃんと目も頭も醒めていた。

正しい言葉が何なのか分からなくて、もっと凛としていたかったのにふわふわしていて。

けれど、一緒にいたい、という気持ちが、同じ形で重なった、と感覚的に思った。

 

 

ありがとう。

また明日。

おやすみなさい。

 

 

今日はわたしにとって、人生で2つ目の、手放したくないものに出会ってしまった日、なのかもしれない。

明日の朝、二つ目の蝋燭に明かりを灯すのが楽しみだ。

Pianism

あまりに世界が混沌としているここ1、2ヶ月。

何となく、気持ちが晴れずにいた。

 

いや、振り返れば疫病が流行り始めた2年くらい前からだろうか。

或いは、人生に壮大な期待と、ある種の絶望の念を抱いていた17、8歳の頃からか。

何なら、初めて入れられた家族以外のコミュニティに溶け込めず、友達にも先生にも言葉を発することができなかった幼稚園の頃からかもしれない。

 

浮き沈みはあれど、わたしはどこかで常に、すっきりしない何かを抱えている気がする。

もちろんそれが気にならなくなるくらい、何らかの感情の中に没頭したり、日常に溢れる美しいものに人生を変えられるくらいの衝撃を受けることもある。

しかし、身体の内にあるのに自分の手が届かないほどの奥底で、通奏低音のように鳴っている、この重たい響きは何なのだろう。

 

 

 

 

わたしは、大好きな音楽をしていて、何度も心を折っている。

ただ、決定的に躓いた実感があったのは、大学卒業後だった。

 

ピアノとの出会いは5歳頃。

何でも吸収してしまう年頃。上達するのはあっという間だった。

言葉で語れなくても、ピアノがあればどんなステージでも勇気が出たし、心から楽しんで弾いていた。

 

高校で出会った先生に、音楽との向き合い方を教わって、その奥深さに魅了され、そしてその責任の重さを知り、その時初めて、緊張することを覚えた。

 

出会いに恵まれた大学の卒業演奏会は、それまでで一番苦しい本番だったと同時に、やっとここまで来れたんだ、という気持ちになれた瞬間だった。

ここからがスタートだ、と思っていた。

のに。

 

仕事として弾く機会が増えるにつれ、嬉しくて、楽しくて、幸せに感じているのに、実際の本番では上手く弾けない、ということが増えていった。

 

上手く弾けないのは、時間が足りないせいだと思っていた。

時間が足りないというのは、単に言い訳をしたいわけではなく、努力が足りないから。

そこさえ何とかできれば上手くいくはず、と思っていた。

 

なのに、どんなに踠いても踠いても、ますます届かなくて、苦しかった。

ステージ上にいる時は、その時にしかできない音楽の中で楽しさだって感じていたし、またステージに立ちたい、と思う気持ちは変わらず強かったが、その後の自責の念は大きくなるばかりだった。

この不安な気持ちが、お客さんにもきっと聞こえているだろうと思うとますます不安になった。

 

 

もう一つ自分が嫌になるのは、誰かの素敵な演奏を聴いても、心の底から全力でただ楽しむ、ということができないこと。

生意気な人間なので、ピアノなら特に、自分よりどんなに優れた演奏でも、どこか気になるところがあるというのは昔から多々ある。

しかしそれとは別に、心のどこかで、羨ましい、どうやったらあんな風にできるんだろう、という憧れのようで、劣等感に近い、そんな居心地の悪い心境になる。

それは自分が弾く励みにも、エネルギーにもなるのだけれど。

 

 

 

兎にも角にも、やりきれなさを感じて、日本を飛び出した、と言っても過言ではない。

簡単に言えば、逃げ出したのだ。

今まで誰にも言いたくなかったけれど、きっとこれを読んでいる知人の中には薄々感じていた人もいるのではないかと思う。

 

美術館や映画館が好きなのは、現実とは違う世界に入り込めるから。

そして、そこで得たものが自分の身体の一部になっていくのを… もっと言うと、生きている実感が湧くから。

常々、ここは自分の居場所じゃない、と感じることが多かった。

今置かれている場所から、昔から憧れていた土地に、どうしても行ってみたかったし、住んでみたかった。

 

 

もちろん、そんな半端な気持ちでは、ただ住むところを変えただけで、本質的なところは何も変わらなかったのだと思う。

実を言うと、その年の夏にハンブルクでの演奏会を終えた時に感じたのは、いつもの達成感と充実感に加え、わたしは所詮ここまでなのかと、ずっと否定してきた“限界”という2文字が初めて、リアルに、頭に浮かんだ瞬間だった。

 

実際、逃げてきたとはいえ、この一年は勝負の一年になるだろうというプレッシャーも自分自身に与えていたのは確か。

 

 

 

 

しかし、出会いというのは不思議なもので。

運命、という言葉はあまり好きではないのだが、諦めようと思った矢先にまた引き留められる、ということは往々にしてある気がする。

 

誰かの演奏を聴いて涙が出たのは初めてだった。

 

高校の頃からの恩師に言われていた「命をかけて弾く」ということの意味が初めて演奏を通じて分かった気がした。

どの音にも(もちろん休符にも)ちゃんと意味があって、意志があって。

どれだけ深く考えて、楽譜と、作曲家と、その音楽と向き合ったらこんな風に弾けるのだろう、と思った。

しかもそれが、あくまで自然の摂理に反することなく、惑星の動きのように整然としていて。

でもちゃんとここに存在している、というのがはっきり分かる歌声のようでもあり。

どんな言葉を以って表現しても、安っぽく感じてしまうくらい、わたしにとってある意味衝撃的な演奏だった。

 

そして次の春から、幸運なことに、わたしは彼女にピアノを教われることになった。

 

 

 

 

ドイツに残りたい一心で、同じその春から、学校の先生に戻った。(それはそれでとても大好きな仕事で、この職に就けたことも本当に幸運でしかないのだけれど。)

 

仕事をしながらのレッスンなので亀の歩みではあるが、それでもその彼女に会いに行くたびに世間話も含めてたくさん話をし、とても丁寧にピアノを教えていただく、ということを繰り返して、一年が経ったこの春。

いつものように数日間お邪魔させていただいて、彼女と夜遅くまで(ほとんど朝まで)話をしたり、2日間、4時間以上かけてじっくりレッスンをしてもらったりして、なんだか少し霧が晴れたような、そんな心地がしている。

 

わたしがピアノを弾く時に感じてしまっていた苦しさの理由が。

そしてそれは、もっと自分の本質的な、所謂昔から感じている生き難さに通ずるのではないか、ということが。

たくさん話をしながら、ピアノを聴いてもらいながら。彼女の言葉を通して、自分の中で整理されていく気がした。

 

さらに、その理由が何となく分かっただけでなく、もしかしたらどうにかできるかもしれない、という手掛かりも見せてもらって、いまわたしの中に、ぼんやりとした希望のようなものが見えている。

 

 

 

 

いつも何かがあるたびに、音楽を続けたい、ピアノに縋りついて生きていきたい、と強く感じる。

それはわたしの意志でもあるし、何かに追われるような、それしか心の拠り所となり得ないような、けれどそれにしてはものすごく不安定なものだった。

 

まだはっきりとは言えないけれど、今回わたしは、音楽をやっていてよかった、と思った。

それは安心にも似たような感覚で、自分の足りないところを自覚したのにそんな風に感じたなんて、生まれて初めてだった。

 

20代のうちにどうにかしたい、しなければ、という焦りに任せ、闇雲に弾くのではなく、苦しさの中で宙を掻くのでもなく。

もっとずっと、深く息を吸って、長い目で見ていこう、と思った。

 

 

 

何が言いたいのかと言うと、この春は、今までになく新しい季節を感じている、ということ。

いつものわくわく、どきどきとは違う。

何と言うか、もっと、お腹の中の方が、じんわり温かくなるような感じ。

 

カールスルーエからの帰りの電車の中。

レッスンの振り返りをしたり、これからのことを考えたり、今までの自分の日記を見返したりしていたら、本当にあっという間にデュッセルドルフに戻ってきていた。

教わったことは一つでも残さず自分のものにしたいし、感じたことは何一つ忘れたくない。

その一心で、久しぶりに、思うままに書いた。

明日からまた職場に戻ったら、段々とまた気持ちが目の前の相手に向いていくだろうし、それはそれでとても幸せなことで、楽しくて、そしてまた心がぐらぐらするのであろうと思う。

けれど、どうしても、寝る前にこれを残しておきたかった。

いつも以上に感情に任せて書いてしまっていて、読みにくい文章なのは重々分かっているし、もう少し整理をしてから文字に起こした方がほんとうはよいのかもしれないけれど。

いま、この時を、記しておきたい、と思ったから書いた。

 

 

結構な時間をかけて書いた、本日の、日記。

 

そしてわたしの人生と、ピアニズム。

Questions

世界のこと。てんで分からないことだらけ。

何が真実で何がそうでないのか。

自分の気持ちを信じたくても、ぐらぐらするような出来事ばかり。

 

わたしは、自然界のあらゆる出来事が不思議で美しいと思う反面、人間のやっている文化的なことや科学的なことも同じくらい美しいし素晴らしいと思っている。

でも、今のこの世の中に関しては違和感しかない。

 

この前、芸術家の三上真理子さんが本校の中3向けに、講師として2時間講義をしてくださった。

彼女が仰っていた戦争、平和への違和感は、まさに今のコロナ禍の世界へも通ずるところがあると思う。

 

だからこそ、知識を持つことってすごく大事で、しかしそれだけに頼らず新しい疑問を抱くのも大事だと思う。

人類はそうやってここまで来たんだもの。

 

 

 

先月体調を崩した時、かかりつけのお医者さんと話をしていて「心の方は大丈夫ですか」と聞かれて泣きそうになった。

実際、病院を出て少し泣いた。

その時ストレスを感じていたことははっきり2つあって、そのうちの1つは昔からどうしようもないことなので諦められるけれど、もう1つの方を心配してもらって。それが嬉しかった。

 

 

 

なんだか今日はだめだ。

来年度のことを言われたからかな。

新学期が始まって、あれやりたいこれやりたいと思っていたところで。どこか過信していたのかな。

切り替えねば。

Colors

教卓の位置から見える紅葉があまりにきれいで、授業中にも見惚れて言葉が止まってしまうほど。

最近は登校時刻も暗くなってきたけれど、子どもたちと一緒にピンク色の朝焼けを眺められるのが嬉しい。

朝から「先生!下弦の月がすごくきれいですよ!」って言いながら教室に入ってくる子が何人もいて。

しあわせだな、と思う。

 

(余談だが、わたしの学年の子どもたちは、休み時間やら移動教室やらで外に出ると「今日は快晴ですね」とか「飛行機雲が出てるからやっぱり午後から降るかなぁ」とか。朝来たら「今日の朝金星光ってた!」とか「昨日の夜家族で宇宙ステーション見ました!」とか「流星群見えなかった!」とか。授業の時には「今日は今年初めて快晴の記号書ける!」とか、、、専ら空の話をしてくる、そんな5年生に仕上がっている。)

 

どこにいても、常に自分の居場所を探しているような、そんな心許なさを感じているわたしが、ほっとできる場所のひとつが教室だ、とも思う。

 

 

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人生って、上手くできているなとつくづく思う。

 

こんなに自由に、楽しいと思う道を進めるようになった今も、自分の不甲斐なさとか弱さは、忘れた頃に定期的に感じさせられる。

自由であることの裏返しに、一人暮らしだからこその不安も少なからずある。でも、少しずつ成長しているのも自分が一番分かる。

 

踏ん張るしかない、ってことかしらね。

 

 

 

体調が悪く3日休み、さらに土日を挟んでのお仕事。とても疲れた。

16時には出るつもりだったのに、色んな人と話していたらあっという間に18時前になってしまっていた。でも、良い時間だった。

 

何より、子どもたち。

朝からみんな「先生いる!!」みたいな。本当にみんな。

心配かけてごめんなさいね。みんなで笑って過ごせる時間がたまらなく愛おしい気持ちになったよ。みんなかわいいよ。大好きよ。ありがとう。

18th Chopin Piano Competition

今回のショパンコンクール、たくさんの日本人が活躍していた。

個人的な感想を残しておくことにする。

 

 

 

 

角野隼人さん

 

https://twitter.com/880hz/status/1449689526910259202?s=21&t=vCFgKusiX2CpnV95lvFZLA

 

角野さんの演奏で、どれだけの人がショパンに、いや“クラシック音楽”と呼ばれるものに惹き込まれたか、計り知れない。ショパコンの動画再生数で圧倒的に日本人が多かったのも、今年の日本勢の注目度に加えて、大いに彼に起因するのではと思ってしまう。

彼の幅の広さはもちろん、ほんとうに頭が良いのだろうなぁと思う。

彼の場合はそれだけでなく、相当に努力もされているのは明らかだが。

https://twitter.com/880hz/status/1261631407811514370?s=21&t=l5n37tR6Caa6UmF4wH0lOw

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耳コピとかアレンジとか苦手なのだけれど、やはりそれらが上手な人との差はこれだよな、と思った彼のツイート。

わたしも最近は電子機器に頼ることが多いけれど、伴奏した曲の譜面が増えていく感覚は好きだ。

 

 

 

沢田蒼梧さん

 

https://twitter.com/sohgo_sawada/status/1450465436655624203?s=21&t=vCFgKusiX2CpnV95lvFZLA

 

所謂、二足の草鞋を履いていることこそが自分のアイデンティティーだと、胸を張って言える姿に憧れる。このことについては賛否両論あると思うが、わたしは純粋に、すごいなと思う。

 

 

 

反田恭平さん

 

https://twitter.com/kyohei0901/status/1453360586541215750?s=21&t=vCFgKusiX2CpnV95lvFZLA

 

反田さんが〈長かった〉と語るショパンと向き合ってきた6年。夢が叶った40分間。彼がこの日のためにどれだけのことをしてきたか、計り知れない。本番の為に、体型やら何やらも調節していた、とか。

彼のコンチェルト、素晴らしい出来だった。そして、その様子を見て思い出した。わたし、彼の演奏を聴いたことがあった。日本音コンのファイナルだ。調べてみたら、当時彼は高校3年生だったらしい。

 

6年という月日は長いか短いか。

 

 

 

小林愛実さん

 

https://twitter.com/aimi_piano/status/1452577351813017603?s=21&t=vCFgKusiX2CpnV95lvFZLA

 

昔からよくメディアでは聴いている彼女のピアノ。彼女のショパンついてはともかく、そんな世界で生きている彼女が、音楽に向き合うその真摯な姿勢に、ただただ尊敬する。

 

 

 

進藤実優さん

 

https://twitter.com/shindomiyu/status/1449892374516314113?s=21&t=vCFgKusiX2CpnV95lvFZLA

 

今回のコンクールで、わたしが個人的に一番生で聴きたいという興味がそそられた。ものすごく作品の世界に、自分の世界に入り込んでいるような感じがした。

彼女の、いろんな作曲家の演奏を聴いてみたい。というか、お話を聞いてみたい。

 

 

 

そしておまけ(と言ったら失礼だが)。

 

https://twitter.com/nino0120444/status/1450285763199864832?s=21&t=vt-136NLW1nyjBX2ij4C4w

 

日本中の音楽好きが読んだであろう《のだめカンタービレ》の作者、二ノ宮知子さん。

彼女のツイートも興味深かった。

 

 

 

 

今年はオンラインでのライブ配信もあり、家で大いに楽しんだショパンコンクールだった。

One of My Dreams

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感染者数がぐっと減った夏の間、わたしはドイツに来て初めて、国内をゆっくり旅行してきた。

一番の目的は、ピアノ屋さん巡り。(ロックダウン中はお店さえ閉まっていたので。)

 

ピアノには個体ごとにそれぞれ違った個性があって、まるで生き物みたいに、それぞれキャラクターが違っていて。

いろんなピアノに触れられること自体とても楽しかったし、お店の人が、やはりそれぞれの楽器やメーカーに愛をもって教えてくれるものだから、おかげでピアノという楽器についても改めて詳しく知ることができた。

しかし、これだ、と思えるピアノにはなかなか出会えずにいた。

 

この夏はもう無理かなと思い始めていた頃、知り合いから新しい情報が入り、最後に訪れたシュトゥットガルトで、幸運にも良い楽器と出会うことができた。

 

8月7日。

それはそれは幸せな出会いだった。

いろいろな考え方があると思うが、「良い楽器には教えてもらえることもたくさんあるから」という師匠の言葉と、お店で試弾させてもらった時のpの音の美しさに惹かれて、ものすごく高い買い物ではあったが、ほぼ即決で決めた。

もう一生手放さないんじゃないかな、と思う。

偶然良いタイミングで、良い場所で、いろんな縁が重なって巡り会えたものなので、喜びも一入。

 

そしてついに本日。

8月26日。

小さい頃からずっとずっとずーっと夢だった、グランドピアノがわたしのもとにやってきた。

搬入日が決まってから、ここ数日はそわそわしていた。

 

マンションの入り口から。

 

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プレゼントのようにラッピングされてやってきた。


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2人のおじさんが、あっという間に組み立て。


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Steinway & Sons、1976年製のB-Flügelだ。


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嬉しくて、うれしくて。これからどんな発見があるか、楽しみで仕方がない。

なんだか胸がいっぱいで。結婚する時って、こんな気持ちになるのかな、なんて。

小さい頃から、周りの男子なんかよりショパンドビュッシーが好きだった。時には宮沢賢治夏目漱石なんかにも浮気していたけれど。全然違うか。

でも、確かに一生のパートナーを見つけたような、そんな夢見心地でいる。

 

文化を大事にしているドイツでも、やはりコロナ禍でコンサートなどは厳しく規制され、後回しにされ。

わたしも演奏の機会から離れてしまって、悔しい想いも膨らむばかりの日々。

けれど、そんな世界の中で、この楽器と出会えたことに感謝して。またじっくりと、音楽と向き合って生きていこうと思う。


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一生大事にします。

末永く、よろしくね。

at Sea

困惑している。

世の中に。

なぜ誰も疑問に思わないのか。

なぜ誰も議論をしないのか。

声をあげないのか。

言われるがまま、成されるがままに、身を任せた方が精神は安定するだろう。

こんなに情報に溢れる社会で、しかしそれは、かなり大きなフィルターにかけられていて。

素人の頭では限界があるし、素人でない人々だって様々なことを好き勝手言っているのだから、いくら調べたところで答えは出ないと思う。

けれど、だからといって諦めてしまって、本当によいのだろうか。

選択肢があるだけまだ改善の余地はあれど。

わたしは、こわいな、と純粋に思う。

正直に言うと、目の前の子どもたちのことも心配で仕方がなくて、心がざわざわしている。

けれどそれを、誰に相談することも、聞くことさえできず。

立場的なこともあって、どうすることもできず、途方にくれている。

 

そんな夜。

珍しく自分から、しかも突然、電話をかけた。

電話しながらボロボロ泣いてしまった。

久しぶりに泣いた気がする。

思っていた以上に、いろいろ溜まっていたんだな、と自分でも思った。

 

これからの世界は、常にこんな感じになっていくのだろうか。

もしそうなのだとしたら、非常に恐ろしくて仕方がない。