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これは何度目のリ・スタートになるのだろうか。

 

 

 

2020年4月から、ドイツ/デュッセルドルフにある日本人学校にて、現地採用として就職することになった。

とりあえずは小学部理科専科としての採用だが、現地と密着した音楽教育関係も手伝うことになりそうだ。


二小、四中でお世話になった先生方には、茨城県の採用を蹴ったのに結局先生になるのか、と思われてしまうかもしれないが、日本の文科省の下で働くことに変わりはないのでどうか許してもらいたい。

 

 


今回就職を決めたことに関して、、、


・音楽を、ピアノを、一生続けたい

・四中と二小での思い出が忘れられない

・先生になるならひとつの学校で根を張りたい

・自分がこの道に進むきっかけともなった理科教育に力を入れたい

文科省からの海外派遣では3年ほどしかいられない上に、国を選べない

・ドイツがますます好きになった

・ドイツにも大切な人ができた


、、、などなど理由もたくさんあるのだが。

 

 

デュッセルドルフの学校へ面接に伺った際に言われたのは、、、


・日本と同じ教材が手に入らないドイツでも、理科教育をもっと盛り上げて欲しい

・音楽の専門家にウィンドアンサンブルの顧問をして欲しい

・上記のどちらも、数年で入れ替わる先生ではなく長いスパンで携わって欲しい

・この学校の国際交流の架け橋になって欲しい


、、、ということ。

 

 

これはいまのわたしにとって天職はなのではないかと錯覚してしまったのだ。


最終的には、いつも直感なのだが。

 

 


6ヶ月の試用期間が終われば退職まで雇用していただけるとのことで、このままいけばドイツに永住するかもしれない。

むしろ学校側としては、文科省からの派遣で毎年1/3の教員が入れ替わる中、長くいてくれる先生、というポジションでわたしを雇ってくれたのだと思う。

 

採用が決まってとても嬉しかった一方で、まだそこに骨を埋めるまでの覚悟を決められたわけではない。

けれど、わたしがもっているものを形にできるのは、やはり学校なのかな、とも思う。

(もちろん、それが音楽であったらどんなに良かっただろう、と心の底から思う気持ちも大きいが。)

 

 

 

わたしはきっと、昔から何も変わっていないのだと思う。

特にここ3年間で、仕事をしたり、勉強したりしながら、やはりそのことを強く感じていた。

 

 


毎週のように天文台に通っていた小学生の頃。

 

校外学習で乗ったフェリーにピアノが置いてあって、急遽みんなで歌おうということになった時のことを鮮明に覚えている。

船の上で、みんなの心がゆらゆら、わくわく、揺れていて。そんな歌に合わせて伴奏をするのは、とても気持ちが良かった。

コンクールのおかげで少しずつ自信が持てるようになったのは、高学年になってからのこと。

 

 

星座よりも惑星や恒星そのものに興味を持ち始めた中学生の頃。


サキソフォンに憧れて吹奏楽部に入ったものの、性に合わなかったらしく…

それでも、一年生の時に出演させてもらったアンサンブルコンテストは練習も含めてとても楽しかったし、3年間を通して音に対する感覚を磨くことができた。

転校を機にピアノのレッスンは中断することになったが、中学校の音楽の先生に呼ばれて、いろいろな合唱の伴奏をさせてもらい、ステージにも乗り、その演奏の中で教わることがたくさんあった。

 

 

地学部でプラネタリウムを作っている時間が息抜きだった高校生の頃。


いまのピアノの恩師と出会った。

それから初めて伴奏譜を自作してみたり、連弾や弦楽器とのカルテットなどを経験させてもらったり、確実に世界が広がった。

 

 

音楽科なのに半分は理科の授業を受けに行っていた大学生の頃。


素晴らしい先生方のおかげで、改めてわたしは伴奏、アンサンブルの楽しさを知り、ずっとこれをやって生きていきたいと思うようになった。

ソロや伴奏の仕事も少しずつ増えていった。

 

 

お茶大時代は指の怪我で半年近く弾けなかったこともあり、学問に身を投じつつ、自分の将来について迷想していた気がする。

 

 

その後、中学校では白衣を着てリコーダーを持って廊下を歩き、小学校では合唱団でピアノを弾いた後理科室で高学年のための実験準備をする日々。

 

 


そして、この一年。

新しい出会いの中で、たくさんの知恵や知識や勇気をもらった。


ピアニストのRさんとの出会いは、わたしの人生においてとても大きなターニングポイントになったことは間違いない。

 


わたしは一生ピアノを弾いて生きていきたい、と思っている。

それが一番の夢であり、目標であり、生きる糧のようなものだ。

 

しかし先に書いた通り、わたしは小学校高学年の頃から既に、ピアニストになりたいという夢とともに、地学(宇宙開発)の発展にほんの少しでも良いから関われたらという夢を抱いていた。

地学への憧れは、そのまま”先生“としての自分に反映させていた。

これは、四中でも二小でも、たくさん理科の授業を持たせていただけたことが大きい。

 

 

 

 

わたしはピアノが好き。

地学が好き。

言葉で表現する、ということが好き。

 


欲張りなわたしが、全てを少しずつ実現できるのはどこなのか、ずっとずっと考えている。

未だにはっきりとした答えは出ていないのだが。

 

 

 

とりあえず、ドイツの学校で、頑張ってみようと思う。