over him

東北には他所からの感染者がいないからか、みんなまだのんびりしている雰囲気があった。

今回、土浦から仙台ってこんなに近かったんだなと思ったのには、常磐線が開通したという理由だけでなく、ドイツと日本の距離を身体が覚えたから、というのもあると思う。

 

 

 

「昔から、心細くなると水辺に来たくなる」

と彼は言った。

 

夜の広瀬川

ヒールが土に埋まってうまく歩けない。

 

張り切りすぎず、でも適度にお洒落をしてきたつもりだ。そんな彼女にこんなところを歩かせるなんて、と思いつつも、桜の木も、街灯が少なくて真っ暗なところも、子どもの頃から毎日見ていた鉄塔も、ロマンチックに見えた。

柄にもなく彼の前ではしゃいでしまったし、久しぶりに会って、真剣な話もたくさんできた。

 

 

 

しかし、そんな夢のような時間は、あまりに呆気なく消えてしまった。

ほんとうに“夢”のように、一瞬で過ぎていったように思える。

 

プロポーズからの、一日経って「やっぱり無かったことにして」なんて信じられる??

せっかく、こんなわたしでもようやく結婚できるのかな、って、とても心強い気持ちになれたのに。また白紙に戻ってしまった。

 

高校の時、お互い気があるのを知っておきながらあえて違う道を選んだあの頃の私たちの方が、大人だったのかな。

あれから疎遠だったけれど、8年ぶりにたまたまヨーロッパで再会して、一気に盛り上がって…。

出会うには、私たちは、まだまだ若過ぎた。

 

 

 

一晩経って、今日改めて気付いたことが一つあって。高校時代の友人であれば、初めから、わたしが抱えている大きなデメリットを知った上で付き合ってくれているのだ、という事実。

急だったにも関わらず、彼のプロポーズに迷わずイエスと言えたのはその点も大きい。彼は、わたしが唯一そのことを話せた友人だった。

逆も然り、だと思う。彼にとっても、私はそういう存在だったのではないか、と思う。

全てを受け止めてくれとは言わないけれど、今後誰かを好きになったとして、わたしはそれをゼロから話していく気力があるかな。

 

 

あまり話しているとこちらも感情的になりそうだったので、理由もほどほどにしか聞かず、泣きも怒りもせず、すごく大人な感じで電話を切ったつもり。

けれど、それにしても、あの真剣な告白は、一体何だったのだろう。

 

悔しさとも、怒りとも言えぬ。強いて言えば驚きに近い、春の風のように生暖かくて、夜の暗さを孕んだように空虚な感情が、身体中にじわじわと広がっていくのを感じる。

 

 

 

朝起きて、せっかくもらった珈琲豆で美味しいコーヒーを淹れようと思ったのに、フィルターの残りが無いことに気がついた。

ちょっと落ち込んだけれど、キッチンペーパーで代用したらまぁ何とかなったのでよしとしよう。

 

春のブレンド、美味しいなぁ。今回は一緒に過ごした時間で言えば短かったから、すぐに立ち直れるかなぁ。

 

 

お裾分けにいただいたチューリップがほんとうに可愛らしくて。

そして親友からの言葉が嬉しくて。

 

今までの経緯やら、ヨーロッパそして仙台で再会という偶然が重なった一連の流れを物語として書きたい。そういう気分。

 

見えつるか  見ぬ夜の月の  ほのめきて

つれなかるべき  面影ぞ添ふ

    ー 式子内親王

 

 

 

よし、もう大丈夫。