休止符

私の定位置である保健室の窓側のベッドには、いつも不安ばかりが堆積している訳ではありません。

今日みたいに曇り空がだんだん晴れていく時は、

ベッドの上の布団にさえ優しさを感じられます。

今日は、ピンクのカーテンにかかる陽射しが、とても眩しく感じられました。

 

 

 


今、現代文の授業で扱っている丸山氏の評論の中の一節に、

“休止とは必ずしも怠惰ではない。”

という文章があります。


彼が言うには、

“「休止」がちょうど音楽における休止符のように、それ自体「生きた」意味を持っている”

らしいのです。

 

 

今は…『休止』の時期なのかもしれません。


私の人生が、これからどんな音符たちによって飾られていくのかは全く分かりませんが、

(もちろん今が休止符であるとしたときに、それが序奏の中の1フレーズを成しているのか、また、展開部の前の小節に位置しているのか等は分かりませんが、)

私が私『である』ために、大切な時間なのかもしれません。

 

たとえその休止符にフェルマータがついていたとしても…

〈音楽〉とは時間の中で創る芸術であり、

〈時間〉は止まらずに進み続けます。

 

今ここにある不満だけを拾い集めるのではなく、

かといって未来ばかりを見て不安になるのでもなく。

『生きた』意味のある休止符というものを、頭の片隅にでもおいて置こうと思います。