父と原発

地理の授業を思い出します。

 

黄色チョークで書かれた板書の中には、もちろん

スリーマイル島

チェルノブイリ

『福島』

という単語も並んでいました。


地図帳をチェックしながら、S先生の話を、他人事のように聞いていました。

これが私にとって、2年生で最後の地理の授業でした。


その日の夜、ふと、小学生の時に“チェルノブイリ原発事故”の本を読んだことを思い出したのですが、

今の日本なら大丈夫だろう…と勝手に思い込んでいました。

まさか数日後、こんなに恐ろしいことが起きるとは思ってもいませんでした。

 


この授業の後だったことが重なり、地震のニュースで真っ先に福島の原発の話が出た時、とてもこわくなりました。


最初の頃から、テレビは

「大丈夫」

と言っていたけれど、

それとなく不安を醸し出していたようにも思えます。

 

私に詳しいことはよく分からないから、

今の状況を、どう掴んで良いのか分かりません。

けれど…

今すぐに判断しないと、大変なことになってしまうのではないかという、危機感のようなものを感じています。

 

 


ところで昨夜、自衛官の父が帰宅しました。

仙台の町並みの写真を家族に見せながら、

「これ、どこだか分かる?」

と聞くのですが…

分からない場所もいくつかありました。

 

父から、先ほど聞きました。

今日3号機に放水してた自衛隊の人たちは、皆、父の隣の棟で働いている人たちだそうです。

父の部隊に招集がかかり、原発について1番詳しい5人が選抜されました。


顔も名前も知っている同僚が原発に派遣されるのを見て、どう思ったのだろう…。

「みんな死んじゃうかもな。」

と呟いた父の言葉が、私の脳内に響いています。

 

父は、

「俺も行かされる可能性は十分ある。」

と言うので、

「志願するの?」

と聞いたら、

「する訳ないでしょ。

 志願制だとしたら、俺は絶対引き受けない。」

ときっぱり言い放ちました。


父に、他人のために頑張ろうという気持ちがないことを知って残念だと思った以上に、心のどこかで安心する自分がいました。

 

 


私は、原発の記者会見の画面が切り替わって、津波による被害の復旧作業をしているのを見て…

この頑張りが、無駄にならないといいなと思いました。