私が3年前まで住んでいた場所は、津波に襲われた荒浜から2kmも離れていません。
近所にいた友達は、高校まで津波が来たと言っていました。
ニュースから流れる映像も信じ難いものばかりですが、水面から出た建物の上部をよく見てみると、知っている建物だと判明します。
“数年後に大きな地震が来る”という噂が流れ始めた時、友達と乗ったバスの中で「ここで地震にあえば大丈夫そうだね。」と指差していた広い田んぼは今、湖と化しています。
祖父母やいとこからは、
「電気が来ない、水もでない、食料も乾電池もない、余震の数は多い…と参っています。」
「いつまた大きな地震がくるか分からないから眠れない。」
といったメールが届きます。
宮城県は地震が多いので、私も震度5くらいの地震や、停電・断水にあったことはあります。
けれど今回は、規模が違う。
まさに“大震災”という言葉がぴったり当てはまる大地震のようです。
11日、みんなで校舎から避難した時は、まだあまりことの重大さに気付いていませんでした。
家に帰って私は、散らかった自分の部屋に入ってはじめて、血の気が引く思いをしました。
本棚の上に飾っていた、写真立てが割れていました。
中の写真は、引っ越しをする直前、親友と撮ったものでした。
その日の夜は、眠れなかったので外に出て、不気味なほど美しい星空の下、ただただ祈っていました。
「私は無事だよ!」
という電話が来たのは、今日の午前10時頃。
学校を休んで良かったと、心から思いました。
無意識にも、私は精一杯の励ましの言葉をかけました。
けれど内心は、動揺していました。
泣きそうになったし、すごく不安でもあったけれど、現地で苦しんでいる人の前で弱気になんてなれません。
今日の夕方、テレビでみたどこかの国のポスターに、
「がんばれ、日本。
がんばれ、東北。」
と日本語で書かれていました。
なぜか分かりませんが、それを見て、涙が出そうになりました。
東北の人たちが、
日本人が、
そして世界中の人たちが…
皆同じ気持ちで、頑張ろうとしています。
人間って、無力だけど、強いんだって実感しました。
きっと何かが変わるはず。
希望の灯火は、消してはいけません。