Pianist

いつも22時半にはきっちりピアノの音が止む。けれど今夜は、キーボードのカタカタ音がそれに続いている。それを聴きながら、とてつもなく優しく、切ない気持ちになって涙が出てくる。

 

こんなに真摯に向き合っている人がほかにいるだろうかと疑わずにはいられない。

練習の仕方は何も特別なことはないのに。

限りなく透き通った、けれど宇宙の果てまでも届いてしまいそうな光みたいな単旋律もあれば、なぜか歌が聞こえたり、ひとりでもアンサンブルしているように聞こえることもある。

 

そして、彼女自身が書いているプログラムノートもほんとうにすてきなのだ。暗い宇宙の中からぽろぽろと拾い集めた星のかけらみたいな。すごく知的で、鋭くて、優しくて。

 

この音をずっと忘れたくないと思うのだけれど、こんなに強いのに、すごく儚くもあって。

失いたくない。今感じているこの感覚を、どうにか自分の音にしたい。ぜんぶ、自分の中に詰め込みたい。

 

 

 

 

眠れずにスマホを整理していたら、ブックマークにまだmixiが残っていた。

わたしは中学生まで、紙のノート日記をつけていた。

高校の間はmixiに。

大学途中まではRealに。その後また紙に戻るわけですが。

何年ぶりか、mixiを見てしまったのね。過去のわたしは、なんだか別人みたいだった。

というか、あの時の苦しみを、わたしは忘れていたんだな、って。もちろん良いことなのだけれど。

あんなに苦しくて、あんなに不安でいっぱいで、それでもピアノを弾けるだけで幸せで。夢に溢れていて、周りの人たちが優しくて。

 

いつ死ぬか分からないくらいなら、余命宣告される方がずっとましだと思っていた。

救急車に乗せられながら、このまま死んでしまえばいいと本気で思っていた。

それでも何とか生にしがみつき、苦し紛れに勉強をし、ピアノを弾き、言葉を紡ぐことで何とか息をしていた。

 

あの頃のわたし、馬鹿みたい。

 

 

 

 

普通に幸せに生きたい、なんて、彼女に会うまで考えたこともなかった。

ああそうか、命をかけて弾くってこういうことか、って、初めて人の演奏を観て聴いて実感したんだ。

「命をかけて弾く」というより、もはや命を削って音にしているのでは、と思ってしまうくらいの音なんだ。

 

誰かの演奏を聴いて、励まされたり、わくわくしたり、悔しい気持ちになることはあるのだけれど。

こんな気持ちは初めてなんだ。

わたしも、なんて言えないけれど… わたしも、ピアノを弾いて生きていきたい、と強く思う。どうせ命を削るなら、それが音になるようにしたい。

 

 

 

 

もらったもの、全て音にしよう。

涙が出るほど幸せな、あたたかな気持ち。