あの時と同じだ、と思った。
あの時と。
救急車の音こそ違えど、乗せられる時に見上げた空は同じだった。
いや違う。
あの時は快晴だったっけ。
今日は少し雲がある。
とはいえ、最近曇り空ばかりがったのに、こんなに晴れているなんて珍しい。
また子どもたちに「先生はやっぱり雨女だね」と笑われるかな。
酸素が足りなくて、手足が冷たくて。
脈も恐らく速いのだけれど、それはもう感じない。
【最初の夜】
生まれて初めてのICUは、思っていたほどこわい場所ではなかった。
大きな窓側のベッドだったからそう感じたのかもしれない。
呼び出し音があちこちから聞こえてくることだけが不気味だった。
こんな状況で眠れないだろうと思っていたが、病室に移されて間も無く眠ってしまったらしい。
翌朝4時に検温に起こされてからは、妙に意識がはっきりとしていて、ただひたすら、日が昇るのを見つめていた。
【入院1日目】
3分間、意識が無かったと言われた。
左側に倒れたはずなのに、なぜか右足にも大きなあざができている。
腕に繋がれた点滴は一体何なのか。
起き上がれないのでスマホで写真を撮って読んでみたところで、わたしのドイツ語レベルでは到底判断ができない。
今日は生憎、土曜日だ。
土日は病院もお休みモードなので、少なくとも火曜日まで入院、と言われる。
10時過ぎに普通の病室に移動できることになったが、こちらも幸い、大きな窓のついた部屋だった。
トイレとシャワー付きの2人部屋に、幸運にもわたしひとり。
今度は西向きの窓だったが、ライン川が見えるその景色が気に入った。
午後の面会時間になると、K先生が着替えやら身の回りの荷物を持ってきてくださった。
I先生と一緒に調達してくださったらしい、差し入れのチョコレートとともに。
とても嬉しかった。
【入院2日目】
朝食の後、動悸がするなと思ったらやはり180を超えていた。
このくらいならまぁたまにあることなのだが、ここは病院。
すぐに心電図をとられ、違う点滴を追加される。
その後また眠っていたらしいのだが、お昼頃にはすっかり気分も良くなり、昼食の時に交換も兼ねて点滴を外してもらえたので、シャワーを浴びたいとお願いをした。
お医者さんが来て軽く診察をされ、短時間なら、と許可を得る。
やはりわたしも日本人だ。
お湯を浴びるだけでもかなりリフレッシュできた。
夕方になると、この日もK先生が来てくださる。
ちょうどこの週末がJAPAN WOCHEだったらしい。
今回はどら焼きなんていただいてしまった。
日中寝過ぎてごはんもちゃんと食べていなかったので、夜中に美味しく頂戴した。
【入院3日目】
そろそろ腕が限界だと思っていたら、点滴の針を抜かれてほっとひと息。
…と思いきや、すぐにお医者さんが来てまた3本ほど血を抜かれ、今度は反対の左腕に点滴をつけられる。
やはり退院は火曜日ではなく水曜日かなと言われる。
がっかりだ。
その後、24時間心電図をつけられ、念のためということで心エコーもとられた。
この日は夕方Sさんが、手作りのりんごケーキと栗ごはん、そしてたくさんの果物を持って来てくださった。
栗ごはんが食べたくて、退院したら作ろうとまで思っていたのでとても嬉しかった。
普段からごはん派ではないわたしでも、ごはんの美味しさが身に滲みた。
素朴な味のりんごケーキも、とても優しい味だった。
【入院4日目】
今日は朝から血圧計をつける。
次はこれとともに24時間過ごすらしい。
毎朝支給されるカリウムのタブレットの味にもうんざりしてきた。
それからお医者さん立ち会いのもと、運動負荷をかけての心電図をとる。
久しぶりの運動に汗びっしょりになった。
相変わらず脈が速すぎるのと、回復がとても遅い傾向はあるが、問題の不整脈はかなり改善していたようだ。
とりあえずひと安心。
校長、教頭先生にメールを入れ、復帰の許可をもらうとともに、無性にもどかしいような、情けないような、申し訳ないような、けれど同時にまたがんばろうという気持ちになった。
夕方、思いがけずまたK先生が来てくださって、子どもたちの様子を教えてくださる。
血圧計のせいで眠れないと思っていたが、かなり熟睡することができた夜だった。
【入院5日目】
朝起きた時、なんだかぼーっとするような感じがした。
身体がかなり鈍っているのだろう。
早く取り戻さねばならない。
昨日改めてとった心電図も、血液検査も、もう大丈夫という結果が出たらしく、改めて、安心する。
血圧計を外してもらい、このデータをチェックし終えたら退院できるとのことだった。
ベガルタの試合を観ながらのんびり昼食を食べ終わった頃、ようやく看護師さんが来て点滴を外され、帰る準備をして待っていてと言われる。
しかしそこからの時間が案外長かった。
こういうところは日本と変わらない。
わたしが病院が嫌いな理由の一つだ。
ようやくお医者さんと話ができ、退院の手続きも終えたところでちょうどK先生が迎えに来てくださる。
家に着いて、学校に電話をしたら、教頭先生がいつも通り紳士(真摯)な話し方で、あたたかな言葉をくださったものだから、泣きそうな気分になった。
校長先生もとても安心してくださっているのが声だけでも伝わってきて、改めて、感謝の気持ちでいっぱいになった。
シャワーを浴びて、いただいていた桃を食べたら美味しくて。
なんとなく、心細くなって。
こんな日は早く寝るに限る。
8時前には電気を消して布団に入った。
【退院1日目】
校長命令ということで、今日はお休み。
わたしの授業は1時間のみ、今日予定していた引き渡し訓練はコロナの影響で突然の中止、さらに公共交通機関はストライキでストップ… というのが重なったことを考慮してくださったのだろう。
正式には「命令」ではなく「要請」らしい。
ちなみに、向こう1週間は「帰りの会後の退勤」も「強く要請」されている。
職務命令は法的に違反らしいのだが、「要請」ということで教職員へも周知済みだと。
強い言葉を使ってはいるが、校長先生、教頭先生の人柄を思うと、本当に優しい対応だと思った。
早く復帰したいと、早く取り戻したいと願ってやまなかったわたしだが、やはりほぼベッドの上で生活していた人間にとって、起きて活動するというのはかなりの重労働だ。
情けないけれど、先生方の気遣いに、もう少しだけ甘えさせてもらうことにする。
この日は久しぶりにバスタブにお湯を張って浸かった。
お風呂上がりに冷えたゼクトでも飲みたかったが、それはまだまだ我慢。
それからゆっくりと荷物を片付けたり、洗濯をしたり、買い物に行ったり、お昼寝したり、ちょっとだけピアノを弾いたり、ごはんを作ったりしているうちにあっという間に夜になった。
今まで全然平気だったのに、ごはんを食べて一息ついたら、無性にかなしくなってきた。いや、悲しくはないのだけれど。寂しくもないのだけれど。虚しくもないのだけれど。何だろう、この気持ちは。
そんなことを考えていたら、M先生、H先生からLINEをいただいて、明日への緊張感がちょっと和らいだ気がした。
【退院2日目】
久しぶりの学校。
なんだか妙に緊張しながら門を開けた。
いつも通り、2番目に職員室に着く。
いつもなら給湯室のお湯を沸かしてすぐに教室に行くのだが、この日は1週間分のプリントやらメモやらに目を通すのにもかなりの時間を要した。
次々に来る先生方の顔を見て、なんだかとても安心するわたし。
校長先生に挨拶をしに行くと、向こうも安心したような笑顔で
「大場先生にはこれから長く勤めてもらわないと困るので。」
と言われ、改めて、胸に込み上げるものがあった。
いよいよ教室に向かうと、なんと黒板に、子どもたちからのメッセージが。
嬉しくて、あたたかくて、思わずひとり、泣いてしまった。
朝の会で何を話そうかと迷っているうちに、ひとり、またひとりとクラスの子が登校してくる。
みんなわたしの顔を見て、にこっとして「大場先生だ!」と言ってランドセルを背負ったまま立ち止まる。
せっかく定着させたはずの、教室に入る時の「おはようございます」もそっちのけで。
その後も、こっそりお手紙を書いてきてくれた女の子とか、理科のテストに「先生、とても心配していました。たいいんできて本当に良かったです。」と書いてくれた男の子とか。
わたしの居場所はここなのだなと思った。
ここしかないのだなと思った。
入院中、誰に連絡をしたら良いか分からなかった。
せめて、「カヌレが食べたい」って言える好きな男の子でもいれば良かったのだけれど。
家族に言うのは絶対に無理、かといって日本にいる友達に連絡するのも違うよな、大好きなドイツの家族には心配をかけたくないし… なんて考えていたら、誰にも連絡出来なかった。
だからこそ、まだたった半年(オンライン期間を除けば2ヶ月)しか一緒に過ごしていないはずの学校の先生やクラスの子たちからの「おかえり」が本当にほんとうに嬉しかったし、安心したのだと思う。
【退院して1週間】
「先生!(鬼滅の刃の)しのぶさんって18歳で身長150センチあるのに体重37キロだって! 軽すぎ!」
休み時間、子どもに言われた言葉だ。
わたしも18歳の時、ちょうどそのくらいだったなぁ、なんて思い出して笑ってしまった。
元気になった今だからこそ思う。やりたかったことを、たくさん叶えていきたい、って。
この入院を経て、やはりこれは一生付き合っていかなければいけないものなのか、と思ったけれど。
本当は運動するのも嫌いじゃないし、検査結果は良くなっていたので、いろいろ挑戦したくてたまらない。
そう考えると、この機会にドイツの病院で改めて検査してもらって、カルテを作ってもらえたのは良かったのかもしれない。
放課後になると「退勤しましょう」と書かれた紙を教頭先生から渡され、学校から追い出された1週間が終わった。
後半は子どもたちと外でサッカーやドッジボールができるくらい元気になり、身体もかなり楽になった。
それにしても。
「久しぶりに一緒にサッカーするか!」と言って外に出ようとした時。
「先生ずっと運動して無かったんですよね」と、いつもは元気なのに、珍しく遠慮がちに聞いてきた男の子がいた。
「外寒いですよ、上着持ってますか?」って。
たった9歳の男の子が、すごいなぁ、と思ったと同時に、気を遣わせてしまって申し訳ないな、と思った。
自分が体調を崩した時は自分のことで手一杯になるのだが、だんだん回復してくると、今度は他人に心配されることが何よりも申し訳なくて、悔しくて、不甲斐なく感じられるものだ。
【退院して10日】
久しぶりに放課後残って学校にいられただけでなんだか嬉しかった。まだいる先生方に「そろそろ帰りなさい」って言われて18時半には学校を出たのだけれど。
放課後の職員室って、いろんな先生と雑談含めてのんびり話ができるから、それもまた良いなと思っている。
教頭先生に「今日までは早く帰ってゆっくり休むこと」と言われたけれど、悪い子なので今夜は職場の一つ年下の先生と飲みに出かけてきた。
改めて、ようやく日常が戻った気がした。
外で美味しいものを食べて元気になった。
「“退院祝い“ね」と言われたのが無性に嬉しかった。
彼には感謝している。ありがとう。
余談ではあるが、ドイツでは公的健康保険に加入していると、どんな治療や検査をしてもお金はかからない。
入院すると一泊10€かかるが、たったそれだけだ。
通院しながら処方される薬も、高くて5€程度。
病弱な人間にはありがたい。
いろいろ思うところはあれど、ひとまず、ドイツに来てはじめての救急車&入院といった一連の出来事をここに記しておこうと思う。