tears

修了式で泣き。

その翌日のサプライズで泣き。

さらに、月曜日、4組の担任と一緒に改めて感謝の会を開いてもらい、手紙を読まれて泣き。

火曜日、華の女子会(女の先生たちでの送別会ランチ)で挨拶をして泣き。

離任式の壇上でまで泣きそうになり。

 

こんなに涙腺が緩くなったのは歳のせいなのかしら。

 

実を言うと、この涙の始まりは、校長先生に移動を言い渡されたその日の帰り道から。

 

分かっていたはずなのに。

もともとそんなに長くいるつもりはなかったのに。

 

思っていた以上にショックで、寂しくて、悔しかった。

移動だと言われた直後、授業のあるクラスに向かい生徒といつものようにお喋りをしていると「俺、来年は大場先生が担任がいいな」なんてふと言われて、返答に詰まった。

その夜、同じ学年の先生2人と校舎を出て、報告をしながら泣いてしまった。

 

 

修了式の日の学年集会。

わたしは、2年生の職員代表で話をすることになっていた。

 

一年を振り返って。

そして、来年度に向けて。

 

みんなの、いつも以上に真剣な表情を見ながら、来年の卒業式まで一緒にいられない悔しさに、また胸が苦しくなった。

それと同時に、こんな気持ちになれたことを幸せに思った。

 

 

 

少し前までは、まさかこんな風に働けるようになるなんて想像もつかなかった。

 

病気を理由に逃げているだけなのかも、と情けなくなることもあったし、

思い通りにならないもどかしさから、いっそのこと余命宣告でもされた方が気が楽だと本気で考えていた時期もあった。

 

ほぼ不自由なく生活ができるようになってきたのは大学生になってから。

大学受験ははっきり言って失敗。

けれど、そのおかげで、演奏会を立ち上げてみたり、海外のマスタークラスに参加したり、オープンキャンパスで演奏したり、友達や教授や会ったこともないいろんな人の伴奏をさせてもらったり、小澤征爾さんのすぐ後ろで勉強させてもらったり…

すごく充実した日々を送ることができた。

今は、失敗して良かったと本気で思う。

 

それでも、大学の卒業試験の日も朝から点滴を打ち、腕にテープをつけたまま、何とか本番を弾ききったのは苦い思い出。

その後の院試もボロボロで、リベンジならず。

 

とりあえず大学院の研究生になるものの、そこでの生活は思っていたよりモノクロの日々で、学問の中でしか自分を見つけることができなかった。

 

 

わたしはこれからどこに向かって行けば良いのだろう。

 

夢も希望もたくさんあるのに、やり遂げる自信も、努力を続ける決意もどんどん弱くなって…

思い詰まって先に進めなくなってしまったわたしに毎日元気をくれたのは、小6から教えていた、当時中3の塾の生徒たちだった。

 

そして、その頃ちょうど、わたしが中3の時の担任と久しぶりに会って話をしていたら「とりあえず講師でもやってみる?」と教育委員会に電話をされ、あっと言う間に配属先が決まってしまった。

 

 

 

何となく、講師になって、一年。

 

尊敬する、大好きな理科部の先生方に支えてもらいながらの授業が何よりも楽しかった。

副担として、2年生全クラスの子たちと近くにいられて楽しかった。

後半は特に、3年生を送る会などの学校行事にも携わることができて楽しかった。

 

もちろん、調子が悪くて突然休みをもらったことも、給食や掃除の時間に保健室で休ませてもらうことも何度かあったけれど。

体の方もコントロールが効くようになってきて、わたしとしてはかなり満足している。

 

 

一年間、母校で、本当に楽しい時間を過ごせたこと。

体力がないなりにも、こんなに働けるようになったこと。

2年生みんなが大好きで、別れるのが寂しくて仕方がないこと。

 

いろんな気持ちでいっぱいで、先に書いたように、ここ数日は泣いてばかりだった。

 

最後に、離任式である男の子からもらった手紙を読んで、またひとり泣いた後、心に残ったのは今まで関わってきた人たちの言葉。

 

わたしが学生の時の先生方がくれた言葉。

バイト先の仲間がくれた言葉。

塾や学校の生徒たちがくれた言葉。

 

この一年だけでなく、そんな今までの人生でもらった言葉を思い出しながら、やはり頑張ろう、と強く思うわたしがいた。

 

 

 

来年度は小学校へ行く。

恐らく担任にもなる。

 

またどんなわたしになれるか分からないけれど、やりたいことは、決して手放さないように。

いまの気持ちを、決して忘れないように。

 

ここに記しておこうと思った。

 

 

 

“先生”として戻ってくることのできた母校の生徒、先生方へ感謝の気持ちを込めて。