Titan

「わたしは土星に生まれました。

詳しく言うと、土星の衛星、タイタンに生まれました。」

 

…という自己紹介をすると、中学生は揃って苦笑いか、そんなのくだらないというようなツッコミを入れてくる。

 

ところがどうだろう。

 

わたしはめげずに話を続けてみる。

 

「タイタンとは、土星の衛星のひとつです。」

 

「直径は5150km。

 

山があり、雨が降り、風が吹き、海には波が立っています。

月のように、静寂に包まれたクレーターだらけの衛星というよりは、惑星に似ています。

地表に炭化水素の海があるだけでなく、地下にも液体の水の海があります。」

 

「季節ごとに降る雨は平野を黒く染め、有機分子が豊富です。

冬には極地の周囲をまわる「極渦」のような風が吹いています。

空には、シアン化水素の雲が浮んでいます。」

 

「生活に必要な電力は、主に潮力発電と風力発電によってまかなわれています。

 

タイタンの北極にはセルダン海峡、またの名をクラーケン海と呼ばれる大きな液体の湖があるのですが、起伏の激しい地形のせいで狭い海峡状になっているエリアがいくつもあります。

そして土星の強力な引力による激しい潮の流れがあり、狭い海峡の部分に潮力発電設備を設けることで、再生可能エネルギーが得られます。

 

また、タイタンでは地表はもちろん、大気圏の上層部にも強い風が吹いています。

この風を利用するために設置している空中風力発電機は、地球上の10倍も効率が良いです。

 

あとは、タイタンの地表の液体メタンから水素とアセチレンを取り出して、単純に火力発電もできますが、あまり行われていません。」

 

「ただ、タイタンの地表はマイナス179度にも達する厳寒の世界です。

大気はほぼ窒素とメタンと水素だけで人体に必要な酸素はなく、気圧が地球の1.5倍、逆に重力は地球の7分の1以下。

したがって、タイタン人は普通、頑丈なシェルターや地下施設のようなものの中で生活しています。」

 

 

…と、これくらい話をすると、本当のことのように聞こえてくる子もいるらしい。

まるでわたしが、本当にタイタンから来たかのように。

 

あるクラスでは、最後の部分を、地下やシェルターで生活、ではなく

「タイタン人は、水や酸素の代わりに炭化水素を使って生きているので問題ありませんが。」

としてみたが結果は同じだった。

 

あり得ないはずなのに、どこか本物らしく聞こえるのはなぜか。

 

だって、半分は嘘だけれど、半分は本当だもの。

 

 

2017年のはじめ、NASAと〜〜社(名前を忘れた)との間で、人類の移住先の候補として、火星の次にタイタンを指名したらしい。

10年前にカッシーニホイヘンス)によって撮られた画像が、今再び注目を集めている、という記事を最近目にした。

 

わたしは10年前、たまたま手にした科学雑誌に乗っていたタイタンのスクープ写真を見て目が釘付けになったのをはっきりと覚えている。

当時中2だったわたしは、その日から自分がタイタンに住む想像を膨らませていた。

 

理科という科目の面白さは、ここにあると思う。

 

もちろん、子どもたちの前では

「全ての物事には結果と原因があることを学ぶのが目的」とか、

「問題を解決する力を身につけて欲しい」とか、

「理科は社会や暮らしを良くするためのものだ」とか、

そんな風に一生懸命語ってみるけれど。

 

たとえば今見えている星の光は、本当は何万年も前に発せられた光。

タイムマシンに乗らなくても、過去を見ることができる。

なんてことを語ると「先生! じゃああの星も、俺らには見えてるけど今はもう無いかもしれないってこと?」と身を乗り出して聞いてくる。

ほら、やっぱり、理科って楽しい教科でしょ、とわたしは言いたくなる。

 

 

タイタンの写真を見た中2の時のわたしは、それはもう必死に、クラスメイトに話をした。

わたしはタイタンに住んでいるの、と。

 

(実は、タイタンに住んでいるのは、わたしだけではなくもう1人いるのだが。)

 

 

あの時からちょうど10年が経った。

 

カッシーニがタイタン地表を捉えてから10年。

世界天文年から10年。

 

そんなことを考えていて、ふと気がついたことがある。

 

わたしが宇宙に興味を持つようになった小惑星探査機はやぶさが7年のミッションを終えて、今年で7年経つ。

あれから14年経って理科の先生になるなんて思ってもみなかったし、何より、初めての教え子が、はやぶさ打ち上げと同じ歳に産まれた子たちだなんて。

これはやはり、運命、だったのかな、と。

 

わたしは理科が好きだけれど、運命だとか、奇跡だとか、そういうのも嫌いじゃない。

 

 

わたしの専門はピアノである。

そこは譲れないし、理科と音楽どちらか1つを選べと言われたら、絶対に音楽を選ぶ自信がある。

 

けれど、やっぱり、理科って楽しい。

それを自分が一番実感した1年間だった。

 

 

 

ちなみに、年度末に行った無記名の授業アンケートの結果。

 

「理科が大好きになりました」

「先生の理科の余談が面白かった」

「理科は苦手だと思っていたけれどとても楽しくなった」

「他の教科に比べて理科が得意になった」

理科に対してプラスのコメント2割。

 

「わかりやすかった」

「可愛かった」

「先生大好き」

適当そう、またはどうでも良いコメント2割。

 

「字を丁寧に書いて欲しい」

「黒板のレイアウトが見やすかった」

「チョークの色を使いすぎ」

「要点がはっきりしていた」

「絵で説明してくれてよかった」

「絵をもっと上手にして」

など黒板に関するコメント2割。

 

「プリントも授業も統一感があって良かった」

「余談が多すぎる」

「たくさん話してくれて授業にも集中できた」

「先生の授業だけはどんなに疲れていても眠くならなかった」

「小テストで解ける問題が増えた」

「理科の点数が上がった」

「高校でやる内容まで話さないでほしい(混乱するから)」

授業全般に対して2割。

 

「学年みんなに愛されていると思う」

「クラスのいろんなことを手伝ってくれてありがとう」

「みんなの嘘に騙されやすいのを改善してほしい」

「来年は先生が担任になってください」

授業に関してのコメントではなかったのが2割。

 

そしてなんと、

「僕も実は水星人です」

「わたしも将来地球以外のどこかに住んでみたいです」

木星に行きたいです」

「タイタンに住んでいる証拠を出してください」

など、わたしが土星人であることにふれてくれたコメント4人。

 

とてもとても嬉しかった。

 

 

 

わたしはこれからも“タイタンの女の子”でいたいなと、暗くなった化学室を出るときにふと思ったので、ここに記しておこうと思う。

 

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