「カンパネルラ、また僕達二人きりになったねえ、
どこまでもどこまでも一緒に行こう。
僕はもうあのさそりのように
ほんとうにみんなの幸せのためならば
僕のからだなんか百ぺん焼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」
カンパネルラの眼にはきれいな涙が浮かんでいました。
今日は修了式の日。
ホームルームは1時間だけ。
これでは、通知表を返すのと、春休み明けのことを確認するので精一杯。
(通知表を返しながら作文を綴じ込んで、1年を振り返り、サイン書きもしたけれど。)
何も語れぬまま、最後の帰りの会になった。
「先生のお話。先生お願いします。」
『お願いします。』
そう言われて、いつも通り前に立っただけなのに、言葉より先に涙が出た。
昨年移動が決まってからずっと楽しみにしていた、初めての自分のクラスの子たちと出会った始業式の日。
みんなが1番立派に動いてくれた黄金の3日間。
子どもに学校のことを教わりながら、優しい先生をしていた一学期。
行事に追われつつ、毎日のように起こる生徒指導の中で叱ることを覚えた二学期。
クラスとしての雰囲気や、高学年としての自覚が出てきて、忙しい中でも落ち着いていた三学期。
本当に気がつかなかった子どもたちからのサプライズに泣かされた修了式。
思い返せばいろいろあるけれど、
毎日のように何かにイライラしていたけれど、
学年末はあまりの忙しさに身体がついていかなくてしんどかったけれど、
今日は、今までの人生で3本の指に入るくらい、最高な1日になった。
この1年間、わたしが自分の学級の中で核にしてきたのは“幸せ”。
ルーツはわたしが小学校高学年の時。
仙台の学校で、宮沢賢治について小五の国語や総合の時間にたくさん勉強し、小六の修学旅行で岩手に行った。
その一連の学習がわたしの小学校時代で最も記憶に残っていて、特に《銀河鉄道の夜》にはかなり影響を受けた。
今の五年生にもそれを伝えたくて。
1年間、いろんなところで“本当の幸い”の話をした。
(言っておくが、他者のための自己犠牲をアピールしたいわけではない。
わたしはクラスの子どもたち全員が大好きだと嘘偽りなく言えるが、子どもたちのために百ぺんもからだを焼かれるのはごめんだ。)
「先生の初めての、1番最初のクラスなので、世界で1つだけの、世界で1番幸せなクラスにしようね。」
という話をしたことを、子どもたちは覚えていてくれたらしい。
行事の時に書く作文や、席替えチャレンジのコメントを読んでいても、ひしひしとそれを実感していた。
言葉が出ないわたしを見て。
「やったー!泣いた!」
「明日も普通の日だったら100ポイントで席替えだったのに!」(5-2は席替えチャレンジでポイントを貯めないと席替えができないのだ。)
なんてがやがやと笑ういつもの雰囲気。
相変わらずの5年2組。
けれど。
いつも学年を率いてくれた女の子が号泣していた。
意外な男の子が涙を浮かべて目を合わせてくれなかった。
そんな子たちもいて、また泣きそうになって。
笑い声が、また、最後だと思うと苦しくて。
何とか笑顔でさようならをして、いつものようにバタバタと教室を出たと思ったら、
「先生!1年間ありがとうございました!」
とわざわざ言いにもどってきてくれたのは、クラスで最もうるさかった男子3人組。
ああ、これが1年間一緒に過ごしてきた子たちの成長なのか。
これが自分のクラスなのか。
そう思った。
もちろん、わたしは恵まれていたと思う。
それでも、今日もらったメッセージを読んで。
みんなの気持ちは、わたしの気持ちと一緒だったんだな。
わたしの想いは伝わっていたんだな。
そんな風に感じられて、また胸がいっぱいになった。
単なる自己満足なのかもしれない。
子どもは大人の期待に応えるために言葉を選ぶとも言うし…
こちら側の洗脳というか、知らず知らずにそういう圧をかけていたのかもしれないし…
さらに言えば、教育とは何なのか、何をするのが良いのか、1年間やっても何もわからなかったのが正直なところだ。
けれど、いつでも自分の気持ちを中心に生きているわたしにとって、この1年間は、今までの25年間の中でもかなり大きな意味があるように思えた。
もちろん、幸せを感じるとともに、同じくらいの寂しさも含めて。
教師って、先生って、毎年こんな気持ちになるのだろうか。
いつか別れにも慣れるのだろうか。
毎日、みんなが笑顔で過ごしていたあの教室を去るのはやはり寂しい。
「僕もうあんな大きな闇のなかだって怖くない。
きっとみんなの本当の幸せをさがしに行く。
どこまでもどこまでも僕達一緒に進んで行こう。」
もう何度も読んで暗記しているジョバンニの言葉が、頭の中に響いた。