The Night

今、常磐線の特急ひたちに乗って、仙台へ向かっている。

久しぶりの電車はいい。

わたしは普段から分刻みでスケジュールを詰め込んでしまうタイプなので、こういう「無意味な」時間が割と好きだ。

(毎日となると話は別だが。)

 

 

実は今年の3月にも、全線開通したばかりの特急ひたちで仙台まで遊びに行ってきた。


そこから3ヶ月。

緊急事態宣言やら外出自粛やらでどこへも行けず、街も閑散としていたところから、少しずつまた人の足が外へと向かっても良い雰囲気になってきたところだ。


春は友達に会うために仙台を訪れたのだが、今回の目的は2つ。

ドイツに帰る前に、建て直していた家が完成間近となった祖父母と叔父家族に会いに行くこと。

そして、#みんなでカントリーロード で一緒に想いを形にしてきた仲間に会いに行くこと、だ。


#みんなでカントリーロード の件については、長くなりそうなのでまた改めて書くとして…。

 

 


今回日記を開いたのは、常磐線開通に伴い、震災から9年経ったいま思うことを、書き残しておこうという思いつきだ。

というのも、コロナウイルスで世界が混乱している最中、Twitterで「#そういえば あの日何をしていましたか」という、NHK東日本大震災・伝承プロジェクトという企画を発見して、改めて思い出すことがあったからだ。


#そういえば 震災伝承プロジェクト

https://www.nhk.or.jp/sendai/311densho/souieba/

 

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ちなみに、わたしが3月に投稿した文章はこちら。

 

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3.11だとか、東日本大震災だとかいう言葉を聞くと、まぶたの裏に焼き付いているあの日の星空を思い出す。


夕方から夜になる頃、近所に住む小さな子たちと一緒に見ていた星空は、まだ冬の星たちがその姿を見せていて。

何気なく星座や宇宙の話をしたら、みんな楽しそうに、目をきらきらさせて聞いてくれたっけ。


その夜は眠れず、何となく夜の星を眺めにもう一度外に出た頃には、乙女座のスピカが昇ってきていた。


あの時の気持ちは上手く言葉にできないのだけれど。

青白く輝く宇宙は相変わらず謎に包まれていて、それがたまらなくこわくて、けれど、夜はとても穏やかで、そして優しかった。

 

 

それから数日間は、毎晩祈るような気持ちで星空を見上げていた気がする。

寒空の下で震えている人たちがいるのに、わたしなんかがあたたかい布団の中で泣くなんて贅沢だ、と思うような気持ちもあった。

人間の弱さを突きつけてくるのも、痛む心を癒してくれるのも、いつだってこの宇宙なのだ。

わたしには、それ以外に、どこへ想いを馳せればよいのか分からなかった。

 


震災から2年半が経つ頃、小学校の同級生から連絡が来た。

震災後、当時の小学生はずっとプレハブで授業をしていたようだったのだが、とうとう校舎の建て直しに着手することになったらしい。


ちょうど小学校が20周年記念を迎えた時、小学一年生だったわたしたちは、タイムカプセルを埋めた。

(わたしの通っていた小学校では、卒業時のタイムカプセル、などといった風習は無かった。だから言葉通り「特別」だった。)

20年後、学校が40周年を迎え、わたしたちが27歳になった時に掘り起こす予定だった。

しかし、校舎の建て直しに際して、歪んだ地盤を元に戻すためにも、予定より早くタイムカプセルを掘り起こさなければいけなくなったのだ。

 

 

掘り起こす日は伴奏の本番と重なってしまって行けなかったのだが、なんと偶然にもその日の最後の曲が「花は咲く」だった。


「花は咲く」の作者である菅野よう子さんは「100年経って、なんのために、あるいはどんなきっかけで出来た曲か忘れられて、詠み人知らずで残る曲になるといいなあと願っています」と語っていたそうだ。

「最初は私自身がどう感じていいのか、どう考えていいのかわからないっていうくらい混乱した気持ちだったので、とにかく『私は今も元気でやっています』というのを、この世にいなくなった人たちに伝えるというような気持ちで作っていました。」

(引用:https://www.nhk.or.jp/ashita-blog/100/300096.html

 

 

掘り起こされたタイムカプセルの中身はと言うと……

津波のせいか、日常の雨が原因か、分からないけれど、中身がびしょびしょだったそうだ。

みんなが書いた作文は剥がしてもほとんど読むことができないほどで、図工の作品も原型を留めていないものがほとんどだったらしい。


その場にいた人たちはもちろん、SNSを通して報告を聞いていたわたしたちの誰もが、

きっと、わたしたちが過ごした学校や、思い出の詰まった景色が消えていく寂しさをひしひしと感じていた一方で、

それ以上に「みんな無事で良かったね」と思っていたことは間違いなかった。

 

 


本来タイムカプセルを掘り起こすはずだった27になる年の春。

久しぶりに訪れた小学校の周りは、まるで違う風景へと変わり果てていた。


その有り様を見て、やはり寂しさや、心苦しさを感じつつも、それでも「ここがわたしの故郷なんだな」と強く思うのはなぜだろう。


今回もまた、電車の中から見える水田や、山際にかかる雲を眺めているだけで、いろいろな思いがこみ上げてくるのはどうしてだろう。

 

 

 


わたしはいまも元気でやっています。

そうか、それで良いのかもしれない。


あれから思考や価値観が変わりました、なんてことが言いたいのではない。


もちろん日々に感謝することは大切だし、いつ死ぬか分からない人生ならなんだって挑戦してみよう、とは思って生きている。

震災での東北の様子を少し離れたところで見ていたわたしは、宇宙の中でどんなに無力でも、失敗しても、不幸に陥っても、人類には再び立ち上がれる強さがあることを実感した。

 

 

それでも。

何が変わっても。

いまのところ、夜は、毎日変わらずやってくる。

少なくともわたしが生きている間は、おそらくそうであろう。


こわくて眠れない日もあれば、もう明日が来なくても良いのにと思うほど幸せなきぶんで眠りにつける日もある。


どんなわたしも包み込んでくれる夜は、やはり総じて、優しいな、と思う。

今夜は曇り空になりそうだが、雲の向こうでは、あの日と同じように、星が輝いている。

 

 

あの日の星空は忘れない。

けれどわたしは、これからも毎晩、ずっと、同じ星空を見続けるのだろう。

 

そんな日々が、淡々と、続いていくといい。

 

 

 

 

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2011.3.15の日記

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