Pianism

あまりに世界が混沌としているここ1、2ヶ月。

何となく、気持ちが晴れずにいた。

 

いや、振り返れば疫病が流行り始めた2年くらい前からだろうか。

或いは、人生に壮大な期待と、ある種の絶望の念を抱いていた17、8歳の頃からか。

何なら、初めて入れられた家族以外のコミュニティに溶け込めず、友達にも先生にも言葉を発することができなかった幼稚園の頃からかもしれない。

 

浮き沈みはあれど、わたしはどこかで常に、すっきりしない何かを抱えている気がする。

もちろんそれが気にならなくなるくらい、何らかの感情の中に没頭したり、日常に溢れる美しいものに人生を変えられるくらいの衝撃を受けることもある。

しかし、身体の内にあるのに自分の手が届かないほどの奥底で、通奏低音のように鳴っている、この重たい響きは何なのだろう。

 

 

 

 

わたしは、大好きな音楽をしていて、何度も心を折っている。

ただ、決定的に躓いた実感があったのは、大学卒業後だった。

 

ピアノとの出会いは5歳頃。

何でも吸収してしまう年頃。上達するのはあっという間だった。

言葉で語れなくても、ピアノがあればどんなステージでも勇気が出たし、心から楽しんで弾いていた。

 

高校で出会った先生に、音楽との向き合い方を教わって、その奥深さに魅了され、そしてその責任の重さを知り、その時初めて、緊張することを覚えた。

 

出会いに恵まれた大学の卒業演奏会は、それまでで一番苦しい本番だったと同時に、やっとここまで来れたんだ、という気持ちになれた瞬間だった。

ここからがスタートだ、と思っていた。

のに。

 

仕事として弾く機会が増えるにつれ、嬉しくて、楽しくて、幸せに感じているのに、実際の本番では上手く弾けない、ということが増えていった。

 

上手く弾けないのは、時間が足りないせいだと思っていた。

時間が足りないというのは、単に言い訳をしたいわけではなく、努力が足りないから。

そこさえ何とかできれば上手くいくはず、と思っていた。

 

なのに、どんなに踠いても踠いても、ますます届かなくて、苦しかった。

ステージ上にいる時は、その時にしかできない音楽の中で楽しさだって感じていたし、またステージに立ちたい、と思う気持ちは変わらず強かったが、その後の自責の念は大きくなるばかりだった。

この不安な気持ちが、お客さんにもきっと聞こえているだろうと思うとますます不安になった。

 

 

もう一つ自分が嫌になるのは、誰かの素敵な演奏を聴いても、心の底から全力でただ楽しむ、ということができないこと。

生意気な人間なので、ピアノなら特に、自分よりどんなに優れた演奏でも、どこか気になるところがあるというのは昔から多々ある。

しかしそれとは別に、心のどこかで、羨ましい、どうやったらあんな風にできるんだろう、という憧れのようで、劣等感に近い、そんな居心地の悪い心境になる。

それは自分が弾く励みにも、エネルギーにもなるのだけれど。

 

 

 

兎にも角にも、やりきれなさを感じて、日本を飛び出した、と言っても過言ではない。

簡単に言えば、逃げ出したのだ。

今まで誰にも言いたくなかったけれど、きっとこれを読んでいる知人の中には薄々感じていた人もいるのではないかと思う。

 

美術館や映画館が好きなのは、現実とは違う世界に入り込めるから。

そして、そこで得たものが自分の身体の一部になっていくのを… もっと言うと、生きている実感が湧くから。

常々、ここは自分の居場所じゃない、と感じることが多かった。

今置かれている場所から、昔から憧れていた土地に、どうしても行ってみたかったし、住んでみたかった。

 

 

もちろん、そんな半端な気持ちでは、ただ住むところを変えただけで、本質的なところは何も変わらなかったのだと思う。

実を言うと、その年の夏にハンブルクでの演奏会を終えた時に感じたのは、いつもの達成感と充実感に加え、わたしは所詮ここまでなのかと、ずっと否定してきた“限界”という2文字が初めて、リアルに、頭に浮かんだ瞬間だった。

 

実際、逃げてきたとはいえ、この一年は勝負の一年になるだろうというプレッシャーも自分自身に与えていたのは確か。

 

 

 

 

しかし、出会いというのは不思議なもので。

運命、という言葉はあまり好きではないのだが、諦めようと思った矢先にまた引き留められる、ということは往々にしてある気がする。

 

誰かの演奏を聴いて涙が出たのは初めてだった。

 

高校の頃からの恩師に言われていた「命をかけて弾く」ということの意味が初めて演奏を通じて分かった気がした。

どの音にも(もちろん休符にも)ちゃんと意味があって、意志があって。

どれだけ深く考えて、楽譜と、作曲家と、その音楽と向き合ったらこんな風に弾けるのだろう、と思った。

しかもそれが、あくまで自然の摂理に反することなく、惑星の動きのように整然としていて。

でもちゃんとここに存在している、というのがはっきり分かる歌声のようでもあり。

どんな言葉を以って表現しても、安っぽく感じてしまうくらい、わたしにとってある意味衝撃的な演奏だった。

 

そして次の春から、幸運なことに、わたしは彼女にピアノを教われることになった。

 

 

 

 

ドイツに残りたい一心で、同じその春から、学校の先生に戻った。(それはそれでとても大好きな仕事で、この職に就けたことも本当に幸運でしかないのだけれど。)

 

仕事をしながらのレッスンなので亀の歩みではあるが、それでもその彼女に会いに行くたびに世間話も含めてたくさん話をし、とても丁寧にピアノを教えていただく、ということを繰り返して、一年が経ったこの春。

いつものように数日間お邪魔させていただいて、彼女と夜遅くまで(ほとんど朝まで)話をしたり、2日間、4時間以上かけてじっくりレッスンをしてもらったりして、なんだか少し霧が晴れたような、そんな心地がしている。

 

わたしがピアノを弾く時に感じてしまっていた苦しさの理由が。

そしてそれは、もっと自分の本質的な、所謂昔から感じている生き難さに通ずるのではないか、ということが。

たくさん話をしながら、ピアノを聴いてもらいながら。彼女の言葉を通して、自分の中で整理されていく気がした。

 

さらに、その理由が何となく分かっただけでなく、もしかしたらどうにかできるかもしれない、という手掛かりも見せてもらって、いまわたしの中に、ぼんやりとした希望のようなものが見えている。

 

 

 

 

いつも何かがあるたびに、音楽を続けたい、ピアノに縋りついて生きていきたい、と強く感じる。

それはわたしの意志でもあるし、何かに追われるような、それしか心の拠り所となり得ないような、けれどそれにしてはものすごく不安定なものだった。

 

まだはっきりとは言えないけれど、今回わたしは、音楽をやっていてよかった、と思った。

それは安心にも似たような感覚で、自分の足りないところを自覚したのにそんな風に感じたなんて、生まれて初めてだった。

 

20代のうちにどうにかしたい、しなければ、という焦りに任せ、闇雲に弾くのではなく、苦しさの中で宙を掻くのでもなく。

もっとずっと、深く息を吸って、長い目で見ていこう、と思った。

 

 

 

何が言いたいのかと言うと、この春は、今までになく新しい季節を感じている、ということ。

いつものわくわく、どきどきとは違う。

何と言うか、もっと、お腹の中の方が、じんわり温かくなるような感じ。

 

カールスルーエからの帰りの電車の中。

レッスンの振り返りをしたり、これからのことを考えたり、今までの自分の日記を見返したりしていたら、本当にあっという間にデュッセルドルフに戻ってきていた。

教わったことは一つでも残さず自分のものにしたいし、感じたことは何一つ忘れたくない。

その一心で、久しぶりに、思うままに書いた。

明日からまた職場に戻ったら、段々とまた気持ちが目の前の相手に向いていくだろうし、それはそれでとても幸せなことで、楽しくて、そしてまた心がぐらぐらするのであろうと思う。

けれど、どうしても、寝る前にこれを残しておきたかった。

いつも以上に感情に任せて書いてしまっていて、読みにくい文章なのは重々分かっているし、もう少し整理をしてから文字に起こした方がほんとうはよいのかもしれないけれど。

いま、この時を、記しておきたい、と思ったから書いた。

 

 

結構な時間をかけて書いた、本日の、日記。

 

そしてわたしの人生と、ピアニズム。