moving

f:id:muses531:20220401222556j:image

 

新しい家に越してきてもうすぐ1ヶ月。

 

家のすぐ近くを散策していたら、公園に、桜の木が何本かあったので驚いた。

 

f:id:muses531:20220401221546j:image

 

ちなみに、日本のソメイヨシノって、全てクローンなのだそうだ。

一本の木から始まっていて、挿木や接木をして増やして全国に広がっていったらしい。

全ての桜が同じ遺伝子を持っている、ということは、桜を前に、わたしたちは時間も場所も超えられるということか。

なんだか不思議だ。

 

f:id:muses531:20220401223024j:image

 

よく通る大通りにも、春の花がたくさん咲いていたり、冬に見たきりの道を歩いたら、すっかり春のそれに変わっていたり。

春を感じるとともに、ドイツに来たばかりの頃は何でも写真に撮っていたのに、自分がすっかりここでの生活に慣れてしまったのを感じた。

 

f:id:muses531:20220401221630j:image

 

f:id:muses531:20220401223546j:image

 

ここ数日のTwitterでの記録をこちらに移しておく。

 

3月12日。

修了式。なんだろう、この本番後みたいな疲労感。久しぶりすぎる。疲れすぎて体を起こすことすらやっとなのに、頭は興奮状態で眠れない。

 

3月11日。

震災から10年、とか。記念日みたいに語るものでもないのに。なんかさ、なんだか、さ。それが意図されているのは分かるのだけれど、思い出してしまうと、なんだか、ね。

でも、わたしも同じで。教員をしている以上、語ってしまうんだろうな。忘れないうちは。実体験でも何でもない。あの日見た星空のことを。

 

3月9日。

言いたいことはたくさんあるのに、言葉が浮かんでこない。衰えたな。感覚が。

 

3月7日。

日曜日の夜は苦手だ。夏休みの最後の日もそう。宿題も仕事も、休みが始まる途端に終わらせてしまうタイプで、何の憂鬱もないはずで。次の日が来るのが楽しみで仕方がなくて、早く明日が来て欲しくて。なのに。高校生くらいからかな、過去のことまで考えてしまうようになったのは。

 

2月26日。

Jリーグ開幕の日に退勤時間の最長記録を更新するなんて。なんだか久しぶりに夜の学校、という感じがした。今日はやはり珍しく複数の先生が残っていて、いろいろお喋りしながら、疲れたなぁ、なんて思うのがまた妙に楽しくて。

今年は天皇杯も観られなかったし、今ようやく、いろいろな意味で、本当に年が明けた気がしている。あけましておめでとう。

でも、でもさ、このまま、声を出せない状況がずっと続く、なんてことはないよね? Jリーグが開幕して嬉しくて、明日のベガルタの試合が楽しみで楽しみで。でも、やはりサポーターの声が聞こえない試合はまだ寂しくて。

 

2月25日。

今日はね、心がぐらぐら。懇談会で泣き、その後保護者からもらった電話で泣き。わたし、昔はもっと淡々としていたのにな。自分のこと以外でこんなに心が動かされるようになるなんて。

 

2月24日。

今日は新居の鍵の引き渡しに行ってきた。ずーっと欲しかったキッチン用品を集めたり、明るい黄色とベガルタグッズを取り入れたインテリアにしたり、ベッドルームにプロジェクターを入れて映画鑑賞したり…。楽しみで仕方がない。

 

 

 

最後に、新居について。

 

就職が決まってデュッセルドルフに越してきた時、とりあえず家賃重視でシェアハウス(WG)生活をしていた。

WGは、初めての生活には良かったと思う。いろいろな手続きやら契約やらが不必要な上に、家具も揃っているし、同居人がいるおかげで助かったこともかなりある。

それでもやはり、自分のお城が欲しくなる。誰にも干渉されず、力を抜ける空間って大事。

実家を出てひとつ肩の力が抜けて、今度は本当の一人暮らしでようやく自由になれる気がしている。ようやくドイツでの生活拠点ができた気がしている。

 

なかなか引っ越しできなかった最大の理由は、音出しできる家が全然ないことだった。

ピアノを置ける家を探すのに、半年近くかかった。自分でもほんとうによくがんばったと思う。

毎日ネットや新聞の記事を見てはメールを送り、現地不動産にも掛け合い…。かなりハードだった。

 

職場まで30分以内の家具なし物件で、

・グランドピアノ搬入可

・毎日音出し可

・お風呂に窓あり

・バスルームリノベ後できれい

・ベランダあり

・近くにスーパー

という何とも素晴らしい物件に入居できることが決まり、ほんとうに安心した。

しかも運良くHochparterreの地上階で、また階段の幅やら何やらでピアノの運搬について悩む必要もない。

(最初に良いと思ったところはピアノの運搬不可と言われ、次に良いと思ったところは後から音出し不可と言われ… いろいろあったが、今の物件の方が何においても断然良い部屋なので、終わり良ければ全てよし、だ。)

 

わたしは恐らく、基本的に家事全般が好きなので、新居での生活は楽しくて仕方がない。

憧れだったシステムキッチンだけは前の住民の方から買い取り(ドイツのアパートは、家具なし物件だとキッチンさえないところがほとんど。買い取った中古のキッチンも、まだ2年も使っていなくて… と前の住民が残念がっていたほど綺麗なものだ。)、ダイニングテーブルと椅子と絨毯を捨てるというのでもらったため、生活には困らない。

 

レンジ、ケトル、掃除機といった電化製品も買い揃えた。細かい家具やベッドやカーテンはいろいろ吟味して決めたい。

とにかく、これからのここでの生活が、とても楽しみだ。

Rain won't stop me

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

 

 

 

 

早朝、耳鳴りなのか何なのか、耳がわんわんなっていて。

その音のような振動のような気持ち悪さで目が覚めて、起きてみると頭痛が酷くて、雨が降っているせいかなと思って。

リモートワークにかこつけてしっかりお昼寝して、でも未だに頭がぼーっとしているのだ。

どうしたら良いのだろう。

 

この前知人と電話で話していた時に「オンライン授業だと知らぬ間に耳も酷使してるから、せめて外付けのスピーカーにするのもおすすよ」と言われた。

その時は全然平気だったのだけれど、もしやオンラインでの弊害なのだろうか。

電子ピアノの音も加えて負担になっていたのだろうか。

 

 

 

圧倒的に経験が足りない。常々そう感じる。

子どもの頃から、今が一番幸せと思うのと同時に、前に進みたいと思う気持ちが同じくらい強くあって。二十代後半なんて大人だと思っていたのに。まだまだだ。力が足りない。

 

10年経ったら変わるかな、って。10年前に思っていた。

10年後のわたしに宛てて書いた高校卒業時の文集は、ただの備忘録だったはずなのに。少しは前に進めたと思っていたのに。

あと一年では、あの頃の理想にまだまだ追いつけやしない。

 

 

 

小学校5年生の時に、国語やら総合やらの学習で出会った、宮沢賢治の作品の数々。

わたしの原点のひとつであり、目標でもある。

 

わたしは小さい頃から本が大好きだった。

でもそれは、物心がつかない頃から絵本を読んでくれた両親と、ものすごい本好きで、会いにいくたびに本屋さんに行っては好きな本を買ってくれた祖父のおかげと思っている。

 

大学生の頃のバイト時代は、国語を教えるのは苦手だった。去年初めて学校で国語を教えることになって、やはりかなり苦労した。楽しかったけれど、それはあくまで隣のクラスの主任の先生のおかげでしかなかった。

 

しかし、わたしが本当の意味で「言葉」に興味を持ったのは、間違いなく小学校5年生の国語の時間のおかげなのだ。そこから文学やら文章を書くことやらがますます好きになったのだ。

その時の文科省の方針で「ゆとり」が導入され「総合」の授業が重視されたことと、学年の先生方の素晴らしいカリキュラムのおかげだった。

 

いろいろ省みた時、いまわたしが相対している子どもたちに、同じようなレベルで何かを「伝える」ことができているとは到底思えない。

 

 

 

 

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

 

 

 

この詩(彼が詩として書いたかものなのかどうかはわからないが)にはまだ続きがあって。

 

 

 

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

 

 

 

と書いてあったらしい。

賢治の家は熱心な浄土真宗の信者だったようだ。

 

「雨」というごく身近な気象現象から始まり、食生活など日頃の心がけといった”自己”から”他者への助力”に繋がり、最後に仏様の名前を持ってくるという順序は、まるで人が生まれてから死に、そして成仏するまでを表すかのような昇華の経緯を表しているようにもとれる。


口に出したときのテンポもさることながら、この少しずつ引き上げられていくような表現が、多くの人にとって心地よく感じられたからこそ、遺作でありながら代表作とされるほど親しまれてきたのであろう。

 

最近「落ち込んだときに読む偉人の言葉」みたいな本やまとめがたくさんあるが、わたしはこうした文学作品から、大いに励まされる、ということがよくある。
賢治もかつて、そうであったのだろうか。

 

そしてこの詩は、もしも自分が生きながらえることができるのであれば、もしも奇跡的に頑丈な身体を頂いて退院したあかつきには、(或いは、死んで生まれ変わる時には、という気持ちもあったかもしれない)、わたしはこのように善い行いをします、という誓いの言葉にも聞こえる。

 

そう思うと、いまわたしがしていることも、賢治がしていたことと然程変わらないのではないか。

人間とは、そういう生き物なのかもしれない。

New Year

今年のおせちは、バタバタしていたら材料を買いそびれてしまったのでいろいろと断念して手抜きで。

・金柑の甘露煮
紅白なます
・黒豆
・海老の旨煮

だけ作って、あとはそれっぽく並べてみた。

ウィーンフィルの無観客ライブを生で観ながら、ゆっくりと過ごす元旦のお昼。

 

f:id:muses531:20220402084333j:image


f:id:muses531:20220402084427j:image


f:id:muses531:20220402084349j:image


f:id:muses531:20220402084422j:image

Sunday

早起きをして、お湯を張ったバスタブに浸かって、朝からパスタなんて茹でちゃって、ゼクトを飲みながら映画を観るの。

9時29分には映画を観終わって、食器を洗って珈琲を淹れて。

これぞ正しい日曜日の過ごし方だと思わない?

 

 

 

 

先週の金曜日。

夏休み明け三度目の「先生方は至急職員室にお集まりください」という校内放送が流れた。

6時間目の前の時間に、突然、教育省から「月曜から学校をロックダウンにするかも」との通達があったらしい。

オンライン授業に備えてプリントやら何やらを印刷して配布して、教科書も持ち帰らせて… 忙しい金曜日だった。

 

土日に確定するらしい州の方針より先に、教育省からすぐに、18日までは対面授業可という通達が夕方には届いた。

対面授業にするかの選択肢は保護者にあり、月曜日から学校はそういう児童に対して遠隔授業をオンライン配信する、と。

この辺の対応の素早さは、日本では信じられない。

 

バタバタしながらも、帰りの会で子どもたちと話しながら泣きそうな気分になってしまって。

でも、子どもたちからの声に前向きになれたし、オンライン授業になったとしても、日本に本帰国した子達とまた一緒に勉強できるという嬉しさを思い出して、何とか持ち堪えた。

 

 

わたしがふんふん歌って生活していたら、子どもたちまで普段から何気なく歌い出すようになってしまった今年のクラス。

今日も「4-2ってすごく素直で、いろんなことに興味を示す子たちが多いけれど、それって先生の姿そのものですよね」なんて他の先生に言われた。

恥ずかしい。

 

そういえば先日の中休みには、子どもたちとわちゃわちゃしながらグランドに出て行くところでM先生に声をかけられ、何かと思ったら「めっちゃ楽しそうやな」って。

「楽しいです」と答えるしかなかった。

まぁ事実なのだが。

 

(その先生に、その後給湯室で会った時に言われたことがあって。

「お茶淹れるだけでも楽しそうやな。ほんと、何にしててもお花とんでるっていうか… 誤解しないで欲しいんやけど、茶化してるわけやないで! ほんとうにええなって… 心から尊敬してるいうか…」とものすごく褒められたのが、実は、密かに、すごく嬉しかった。)

 

 

生きるために、ドイツに残るために職に就いたと言っても過言ではないくらいなのに。

毎日がこんなに楽しくて、幸せで、良いのかしら、と思う。

 

 

そして迎えた終業式。

その日もオンライン配信をしながらでとても大変だったけれど、とても幸せな1日、一年の終わりだった。

今まで生きてきた中で、東日本大震災と同じくらい印象に残るような一年だった気がするけれど、今までで一番幸せな一年だった気もする。

 

 

 

ただ、せっかくの冬休みはロックダウンでお店も閉まり、クリスマスマルクトもなく…。

こんなに冬休みが来て欲しくないと思ったのは初めてだ。

 

あたたかい気持ちとは裏腹に、寂しい気持ちになっていたところで、Rさんから「クリスマスから年末年始、もし暇ならうちにおいで」という電話をもらって泣きそうなほど嬉しくなった。

クリスマスはカールスルーエに帰ることにしよう。

 

 

 

 

兎にも角にも、今日は日曜日を満喫するんだ。

Autumn Sunny

f:id:muses531:20220402042408j:image

 

今日は新しいブーツでお出かけしてきた。

先週一目惚れして買ってしまったブーツ。

やっぱりかわいい。

 

 

ドイツは来月からプチロックダウン。

その前の最後の土曜日に、エッセンにある『ツォルフェライン炭鉱業遺産群』まで行ってきた。

さすが世界遺産。迫力があったし、見ていてテンションが上がった。

 

f:id:muses531:20220402041940j:image


f:id:muses531:20220402042411j:image


f:id:muses531:20220402042010j:image


f:id:muses531:20220402041944j:image

 

f:id:muses531:20220402042103j:image


f:id:muses531:20220402042049j:image


f:id:muses531:20220402042046j:image


f:id:muses531:20220402042053j:image

 

久しぶりのよく晴れた空に、紅葉して赤や黄色に染まった木々、秋の空気がとても心地好かった。

reminder

あの時と同じだ、と思った。

あの時と。

 

救急車の音こそ違えど、乗せられる時に見上げた空は同じだった。

 

 

いや違う。

あの時は快晴だったっけ。

今日は少し雲がある。

とはいえ、最近曇り空ばかりがったのに、こんなに晴れているなんて珍しい。

また子どもたちに「先生はやっぱり雨女だね」と笑われるかな。

 

酸素が足りなくて、手足が冷たくて。

脈も恐らく速いのだけれど、それはもう感じない。

 

 

 

【最初の夜】

 

生まれて初めてのICUは、思っていたほどこわい場所ではなかった。

大きな窓側のベッドだったからそう感じたのかもしれない。

呼び出し音があちこちから聞こえてくることだけが不気味だった。

 

こんな状況で眠れないだろうと思っていたが、病室に移されて間も無く眠ってしまったらしい。

翌朝4時に検温に起こされてからは、妙に意識がはっきりとしていて、ただひたすら、日が昇るのを見つめていた。

 

 

 

【入院1日目】

 

3分間、意識が無かったと言われた。

左側に倒れたはずなのに、なぜか右足にも大きなあざができている。

腕に繋がれた点滴は一体何なのか。

起き上がれないのでスマホで写真を撮って読んでみたところで、わたしのドイツ語レベルでは到底判断ができない。

 

今日は生憎、土曜日だ。

土日は病院もお休みモードなので、少なくとも火曜日まで入院、と言われる。

 

10時過ぎに普通の病室に移動できることになったが、こちらも幸い、大きな窓のついた部屋だった。

トイレとシャワー付きの2人部屋に、幸運にもわたしひとり。

今度は西向きの窓だったが、ライン川が見えるその景色が気に入った。

 

午後の面会時間になると、K先生が着替えやら身の回りの荷物を持ってきてくださった。

I先生と一緒に調達してくださったらしい、差し入れのチョコレートとともに。

とても嬉しかった。

 

 

 

【入院2日目】

 

朝食の後、動悸がするなと思ったらやはり180を超えていた。

このくらいならまぁたまにあることなのだが、ここは病院。

すぐに心電図をとられ、違う点滴を追加される。

 

その後また眠っていたらしいのだが、お昼頃にはすっかり気分も良くなり、昼食の時に交換も兼ねて点滴を外してもらえたので、シャワーを浴びたいとお願いをした。

お医者さんが来て軽く診察をされ、短時間なら、と許可を得る。

やはりわたしも日本人だ。

お湯を浴びるだけでもかなりリフレッシュできた。

 

夕方になると、この日もK先生が来てくださる。

ちょうどこの週末がJAPAN WOCHEだったらしい。

今回はどら焼きなんていただいてしまった。

日中寝過ぎてごはんもちゃんと食べていなかったので、夜中に美味しく頂戴した。

 

 

 

【入院3日目】

 

そろそろ腕が限界だと思っていたら、点滴の針を抜かれてほっとひと息。

…と思いきや、すぐにお医者さんが来てまた3本ほど血を抜かれ、今度は反対の左腕に点滴をつけられる。

 

やはり退院は火曜日ではなく水曜日かなと言われる。

がっかりだ。

 

その後、24時間心電図をつけられ、念のためということで心エコーもとられた。

 

この日は夕方Sさんが、手作りのりんごケーキと栗ごはん、そしてたくさんの果物を持って来てくださった。

栗ごはんが食べたくて、退院したら作ろうとまで思っていたのでとても嬉しかった。

普段からごはん派ではないわたしでも、ごはんの美味しさが身に滲みた。

素朴な味のりんごケーキも、とても優しい味だった。

 

 

 

【入院4日目】

 

今日は朝から血圧計をつける。

次はこれとともに24時間過ごすらしい。

毎朝支給されるカリウムタブレットの味にもうんざりしてきた。

 

それからお医者さん立ち会いのもと、運動負荷をかけての心電図をとる。

久しぶりの運動に汗びっしょりになった。

相変わらず脈が速すぎるのと、回復がとても遅い傾向はあるが、問題の不整脈はかなり改善していたようだ。

とりあえずひと安心。

 

校長、教頭先生にメールを入れ、復帰の許可をもらうとともに、無性にもどかしいような、情けないような、申し訳ないような、けれど同時にまたがんばろうという気持ちになった。

夕方、思いがけずまたK先生が来てくださって、子どもたちの様子を教えてくださる。

 

血圧計のせいで眠れないと思っていたが、かなり熟睡することができた夜だった。

 

 

 

【入院5日目】

 

朝起きた時、なんだかぼーっとするような感じがした。

身体がかなり鈍っているのだろう。

早く取り戻さねばならない。

 

昨日改めてとった心電図も、血液検査も、もう大丈夫という結果が出たらしく、改めて、安心する。

血圧計を外してもらい、このデータをチェックし終えたら退院できるとのことだった。

 

ベガルタの試合を観ながらのんびり昼食を食べ終わった頃、ようやく看護師さんが来て点滴を外され、帰る準備をして待っていてと言われる。

しかしそこからの時間が案外長かった。

こういうところは日本と変わらない。

わたしが病院が嫌いな理由の一つだ。

 

ようやくお医者さんと話ができ、退院の手続きも終えたところでちょうどK先生が迎えに来てくださる。

 

家に着いて、学校に電話をしたら、教頭先生がいつも通り紳士(真摯)な話し方で、あたたかな言葉をくださったものだから、泣きそうな気分になった。

校長先生もとても安心してくださっているのが声だけでも伝わってきて、改めて、感謝の気持ちでいっぱいになった。

 

シャワーを浴びて、いただいていた桃を食べたら美味しくて。

なんとなく、心細くなって。

こんな日は早く寝るに限る。

8時前には電気を消して布団に入った。

 

 

 

【退院1日目】

 

校長命令ということで、今日はお休み。

わたしの授業は1時間のみ、今日予定していた引き渡し訓練はコロナの影響で突然の中止、さらに公共交通機関ストライキでストップ… というのが重なったことを考慮してくださったのだろう。

 

正式には「命令」ではなく「要請」らしい。

ちなみに、向こう1週間は「帰りの会後の退勤」も「強く要請」されている。
職務命令は法的に違反らしいのだが、「要請」ということで教職員へも周知済みだと。

 

強い言葉を使ってはいるが、校長先生、教頭先生の人柄を思うと、本当に優しい対応だと思った。

早く復帰したいと、早く取り戻したいと願ってやまなかったわたしだが、やはりほぼベッドの上で生活していた人間にとって、起きて活動するというのはかなりの重労働だ。

情けないけれど、先生方の気遣いに、もう少しだけ甘えさせてもらうことにする。

 

この日は久しぶりにバスタブにお湯を張って浸かった。

お風呂上がりに冷えたゼクトでも飲みたかったが、それはまだまだ我慢。

 

それからゆっくりと荷物を片付けたり、洗濯をしたり、買い物に行ったり、お昼寝したり、ちょっとだけピアノを弾いたり、ごはんを作ったりしているうちにあっという間に夜になった。

今まで全然平気だったのに、ごはんを食べて一息ついたら、無性にかなしくなってきた。いや、悲しくはないのだけれど。寂しくもないのだけれど。虚しくもないのだけれど。何だろう、この気持ちは。

 

そんなことを考えていたら、M先生、H先生からLINEをいただいて、明日への緊張感がちょっと和らいだ気がした。

 

 

 

【退院2日目】

 

久しぶりの学校。

なんだか妙に緊張しながら門を開けた。

 

いつも通り、2番目に職員室に着く。

いつもなら給湯室のお湯を沸かしてすぐに教室に行くのだが、この日は1週間分のプリントやらメモやらに目を通すのにもかなりの時間を要した。

次々に来る先生方の顔を見て、なんだかとても安心するわたし。

校長先生に挨拶をしに行くと、向こうも安心したような笑顔で

「大場先生にはこれから長く勤めてもらわないと困るので。」

と言われ、改めて、胸に込み上げるものがあった。

 

いよいよ教室に向かうと、なんと黒板に、子どもたちからのメッセージが。

嬉しくて、あたたかくて、思わずひとり、泣いてしまった。

 

朝の会で何を話そうかと迷っているうちに、ひとり、またひとりとクラスの子が登校してくる。

みんなわたしの顔を見て、にこっとして「大場先生だ!」と言ってランドセルを背負ったまま立ち止まる。

せっかく定着させたはずの、教室に入る時の「おはようございます」もそっちのけで。

 

その後も、こっそりお手紙を書いてきてくれた女の子とか、理科のテストに「先生、とても心配していました。たいいんできて本当に良かったです。」と書いてくれた男の子とか。

 

わたしの居場所はここなのだなと思った。

ここしかないのだなと思った。

 

 

入院中、誰に連絡をしたら良いか分からなかった。

せめて、「カヌレが食べたい」って言える好きな男の子でもいれば良かったのだけれど。

家族に言うのは絶対に無理、かといって日本にいる友達に連絡するのも違うよな、大好きなドイツの家族には心配をかけたくないし… なんて考えていたら、誰にも連絡出来なかった。

 

だからこそ、まだたった半年(オンライン期間を除けば2ヶ月)しか一緒に過ごしていないはずの学校の先生やクラスの子たちからの「おかえり」が本当にほんとうに嬉しかったし、安心したのだと思う。

 

 

 

【退院して1週間】

 

「先生!(鬼滅の刃の)しのぶさんって18歳で身長150センチあるのに体重37キロだって! 軽すぎ!」

 

休み時間、子どもに言われた言葉だ。

わたしも18歳の時、ちょうどそのくらいだったなぁ、なんて思い出して笑ってしまった。

 

元気になった今だからこそ思う。やりたかったことを、たくさん叶えていきたい、って。

この入院を経て、やはりこれは一生付き合っていかなければいけないものなのか、と思ったけれど。

本当は運動するのも嫌いじゃないし、検査結果は良くなっていたので、いろいろ挑戦したくてたまらない。

そう考えると、この機会にドイツの病院で改めて検査してもらって、カルテを作ってもらえたのは良かったのかもしれない。

 

放課後になると「退勤しましょう」と書かれた紙を教頭先生から渡され、学校から追い出された1週間が終わった。

後半は子どもたちと外でサッカーやドッジボールができるくらい元気になり、身体もかなり楽になった。

 

それにしても。

「久しぶりに一緒にサッカーするか!」と言って外に出ようとした時。

「先生ずっと運動して無かったんですよね」と、いつもは元気なのに、珍しく遠慮がちに聞いてきた男の子がいた。

「外寒いですよ、上着持ってますか?」って。

 

たった9歳の男の子が、すごいなぁ、と思ったと同時に、気を遣わせてしまって申し訳ないな、と思った。

自分が体調を崩した時は自分のことで手一杯になるのだが、だんだん回復してくると、今度は他人に心配されることが何よりも申し訳なくて、悔しくて、不甲斐なく感じられるものだ。

 

 

 

【退院して10日】

 

久しぶりに放課後残って学校にいられただけでなんだか嬉しかった。まだいる先生方に「そろそろ帰りなさい」って言われて18時半には学校を出たのだけれど。

放課後の職員室って、いろんな先生と雑談含めてのんびり話ができるから、それもまた良いなと思っている。

 

教頭先生に「今日までは早く帰ってゆっくり休むこと」と言われたけれど、悪い子なので今夜は職場の一つ年下の先生と飲みに出かけてきた。

改めて、ようやく日常が戻った気がした。

外で美味しいものを食べて元気になった。

「“退院祝い“ね」と言われたのが無性に嬉しかった。

彼には感謝している。ありがとう。

 

 

 

 

余談ではあるが、ドイツでは公的健康保険に加入していると、どんな治療や検査をしてもお金はかからない。

入院すると一泊10€かかるが、たったそれだけだ。

通院しながら処方される薬も、高くて5€程度。

病弱な人間にはありがたい。

 

 

 

 

いろいろ思うところはあれど、ひとまず、ドイツに来てはじめての救急車&入院といった一連の出来事をここに記しておこうと思う。

Time

いよいよ出国できることになった。

もちろん嬉しいし安心したのだけれど、またしばらくは日本に帰って来られないだろうというのに、他県にいる友達にも会えず、旅行もできず、スタジアムにも行けないまま出国するのは寂しいな、と感じる。

 

 

 

 

昨日、家族でディズニーランドに行ってきた。

いまは入場制限があってチケットをとるのもなかなか大変なのだが、妹が何日か粘って、4枚のチケットをとってくれた。

 

 

 

f:id:muses531:20220402015138j:image

 

ちゃんとした外出は久しぶりだったので、本当にリフレッシュできた。

最近は公園内を延々と歩いてみたり、スーパーにも歩いて行ってみたりしていたけれど、、、やはり今日、とてもスッキリしたので、こういうのも大事だったのだなぁと改めて思った。

早く元の日常に戻りたいのは山々だが。

 

実際に着いてみると、パーク側も出来る限りの準備をしているわけで。

何より、人が少ないのでどのアトラクションもほぼ並ばず、レストランの席取りにも困らず、とても快適に過ごすことが出来たのがとても良かった。

 

f:id:muses531:20220402015313j:image


f:id:muses531:20220402015249j:image


f:id:muses531:20220402015307j:image


f:id:muses531:20220402015254j:image


f:id:muses531:20220402015304j:image


f:id:muses531:20220402015258j:image

 

小さい頃からシンデレラ城に住みたいと思っていたけれど、その気持ちは今も変わらない。

ちなみに、わたしは謙虚なか弱いお姫様ではなくて、我が儘で図太いお姫様になりたい。

 

シンデレラ城の写真もいろいろ撮ったけれど、美女と野獣のお城も出来ていてとてもわくわくした。

早く近くで見たいなと思った。

 

f:id:muses531:20220402015332j:image


f:id:muses531:20220402015337j:image


f:id:muses531:20220402015328j:image

 

絶叫が嫌いなので、ギリギリ乗れるビックサンダーからも逃げて父と2人で汽車に乗ったら、ちょうど接近するところで母と妹が乗ったコースターの車両とすれ違った。

わたしがシャッターを押すのがあと0.5秒遅ければ2人の写真が撮れていたのに!! ……というこの写真も載せておこう。

 

f:id:muses531:20220402015124j:image

 

 

 

それにしても、本当に良い天気だった。

 

 

 

 

先日、親友から連絡が来て、二人で電話をしながら一緒に空を見上げた。

ちょうど土星木星が綺麗に見える夜だった。

ISSが日本の上を通過するその時間、確かに、わたしたちは、同じ時間を過ごしていた。